« 速吸門での釣り人 槁根津日子 380 | トップページ | 五瀬命に矢が的中 382 »

2012年7月 8日 (日)

登美能那賀須泥彦軍が神武帝軍団を粉砕 381

 東上する神武帝軍団一行に初めて戦いを挑む地元軍団が登場。
 抵抗を試みたのは
 「登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)」 らの皆さん。
 そこの箇所の古事記原文です。

故從其國上行之時
經浪速之渡而
泊青雲之白肩津
此時登美能那賀須泥毘古 (自登下九字以音)
興軍
待向以戰爾取所入御舩一之楯而
下立
故號其地
謂楯津
於今者云日下之蓼津也
於是與登美毘古戰之時
五瀬命
於御手負登美毘古之痛矢串
故爾詔
吾者爲日神之御子
向日而戰不良
故負賤奴之痛手
自今者
行迴而
背負日以撃
期而
自南方
迴幸之時
到血沼海
洗其御手之血
故謂血沼海也
從其地迴幸
到紀國男之水門而詔
負賤奴之手乎死
爲男建而崩
故號其水門
謂男水門也
陵即在紀國之竈山也

 来週読み解きます。                                           続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記中下巻P03の10行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

|

« 速吸門での釣り人 槁根津日子 380 | トップページ | 五瀬命に矢が的中 382 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 速吸門での釣り人 槁根津日子 380 | トップページ | 五瀬命に矢が的中 382 »