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2012年7月 1日 (日)

速吸門での釣り人 槁根津日子 380

 神倭伊波礼彦命(神武帝)軍団は8年暮らした高嶋宮を後にし
 此処からは明確に 「舟」 を仕立てて東へ進みます。
 すると間もなく、
 「小舟(亀の甲)」 からこちらに手を振っている漁師が波間に。
 そこは潮の流れがめっぽう速い、速吸門(はやすいのと)。
 速吸門は吉備国の児島湾口の古称とされています。
 (現在の岡山県岡山市児島湾近辺?)
 因みに、いつもお世話になっております梅原猛さんは
 この速吸門を播磨国の明石海峡とされています。
 (「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社 p431」)
 児島湾と明石海峡との距離は約100㎞程。
 速吸門を明石海峡と設定すると吉備国高嶋宮を出立してから
 かなり時間の経過が必要に。
 どちらを取るにしても東方への進路には間違え有りません。
 この陽気な漁師さんは当然、土着のお方で潮の流れは元より
 海の道は目を瞑っても分かる釣り人。
 彼の存在は
 海路に不案内な神倭伊波礼彦命(神武帝)軍団に取って
 願ってもないお方。
 神武帝軍団がどの様な懐柔策を用いたのか計り知れませんが
 漁師さんは水先案内人(パイロット)を引き受ける事に成るのです。
 更に、ご褒美に神倭伊波礼彦命から名前まで頂戴します。
 その名は 「槁根津日子(さおねつひこ)」。
 槁=棹で舟を進める水棹(みさお)。
 漱石、草枕 「情(じょう)に棹させば流される」 の棹。
 決して流されてはならじ、 「みさお(操)」 を立てねば。
 はたまた、立てるのは 「さお(竿)」 では。
 中々味わい深いものが・・・・・。
 話を戻し、舟を操舵・前進させる 「棹」 の一文字を賜った
 槁根津日子(さおねつひこ)、
 彼は倭国の国造(くにのみやっこ=国の御奴)らの祖とか。
 国造は地方の長(おさ)、差詰め今の県知事感じ。
 只、漁師さんが国造になれたのは
 後に神倭伊波礼彦命(神武帝)軍団が葦原中津国を制圧した結果。
 論功行賞による人事。
 神武帝軍団がのされていれば
 悠々自適な釣り人で日々過ごされたのです。         続く。

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