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2012年6月24日 (日)

神武軍団九州を後にし山陽道に 379

 神倭伊波礼彦命(神武帝)一行は岡田宮に一年滞在、
 その後九州を後にし、初めて 「東」 に向かいます。
 最初の滞在地は 「阿岐國(あきのくに)之多祁理(たきり)宮」。
 阿岐國=安芸国と見なして問題ないと思います。
 しかし、多祁理宮が何処か特定できません。
 山陽道を徒歩・陸路で周防国、安芸国と東上したのか
 瀬戸内海を舟・海路で安芸国に上陸し部隊を整えたのかも不明。
 只、彼の地で一行は7年間も過ごしたと記されています。
 小舟軍団なら長門、周防国を左に見て東上した事に。
 そして安芸国の海岸線沿いの何処かで休息。
 しかし、
 7年間もその地に滞在したのですから何か有ったのかしら
 更に、やっとの事で東に出立。
 次の駐屯地は吉備国の 「高嶋宮」。
 この 「高嶋宮」 も場所が特定出来ていません。
 安芸国に比して吉備国は
 備後・備中・備前・美作(みまさか)国の奈良時代は4国あり
 とてもエリアが広く、現在の広島県の東部と岡山県に当たります。
 又、彼の地での滞在期間は安芸の多祁理宮よりも一年長い
 8年間と記されています。
 都合、山陽道で15年の日々を費やした事になります。
 多祁理宮、或いは、高嶋宮近辺を 「東」 と認識しようとしたのか?
 それとも、より東への物見諜報担当者から情報で
 動かない方が上策と判断し留まらざるを得なかったやも。
 穿った考えではこの二つの土地に住まう方々とトラブリ、
 仲良しさんに成る事に時間がかかったのやも知れません。
 と云うよりもこれが真相だと思いますが・・・・・。
 突如見知らぬ武装集団が現れたならばその地に住まう方々は
 争(あらが)い抵抗に及ぶ事は必至。
 只、少々時間が掛かったものの
 何処かの時点で折り合いがついたのでしょう
 必ずや遠征軍団と地元の吉備国の方々、特に女性との
 愛の育み合いがあったのではないかと思われます。
 引っ込み思案の男性と違い女性は 「強い男」 には胸キュン。
 初年度にペアーなったお子さんは十二分に 「彦」 「姫」 に。
 そして、神倭伊波礼彦命(神武帝)らは
 いよいよ高嶋宮から更に 「東」 を目指すのです。       続く。

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