神倭伊波礼毘古命(神武帝) 誕生 376
豊玉姫と火遠理命=山幸彦の一人息子、
水鳥の羽根で葺いた屋根付き産屋完成前に生まれた子、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命。
その彼がお嫁さんとしたのはご自分を育ててくれた彼の乳母、
豊玉姫の妹、玉依姫さん。
生みの親がとある事情で彼の側(そば)にいなかった分
母親の面影があり、初めて異性を意識したと思われる玉依姫を
好きになってしまった事は自然の成り行きだったやも。
そしてこのお二人の愛の結晶は
1 五瀬命(いつせのみこと)
2 稲氷命(いなひのみこと) 後に常世の国へ
3 御毛沼命(みけぬのみこと) 後に生母の国へ
4 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
=豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)
=神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)
上の4番目のお子さんが、奈良時代に淡海三船(722~785)が
命名したと云われる 「神武天皇」。
そして、この神武天皇の即位年月日は日本書紀の記述では
「辛酉年春正月庚辰朔」 (儀鳳暦(麟徳暦)換算)。
紆余曲折を経てこの年月日をグレゴリオ暦に置き換えて
神武天皇の即位日がB.C.660年2月11日とされる事に。
それにより今から72年前、1940年 (昭和15年) 2月11日
「紀元2,600年の大詔」。
この大イベントの年に当たり、実際は諸事情で中止されたものの
1 第12回夏季オリンピック東京大会
2 第05回冬季オリンピック札幌大会
3 紀元2600年記念日本万国博覧会
が挙行される予定だった。
尚、第12回オリンピック東京大会組織委員会の委員長は
何と、IOC委員であり、世が世なら
将軍でお殿様であった 「徳川家達」 さん。(1862~1940)
又、この年には国難により、殆どの政党が解党し
「大政翼賛会」 が発足、
摂関家の末裔、近衛文麿さん(1891~1945)が総裁に。
更にこの年、(決して・決して、声高では云えませんが)
資源を持たない、植民地獲得競争に出遅れた3国で
「日・独・伊三国条約」 を締結。
はたまた、究極はこの年、神武天皇が過ごしていたと云われる
宮崎県(日向国)宮崎市にある、「皇宮屋(こぐや)」 の北部に
「八紘一宇の塔」 が完成。 (現在は「平和の塔」)
神武天皇即位紀元2,600年記念に華を添える事に。
大東亜戦争敗戦後は神武天皇即位記念日(紀元節)は
米国の意向により廃止、
やがて、1967年2月11日に 「建国記念の日」 として復活。
かように、「辛酉年春正月庚辰朔」 は数奇な運命を辿る事に。
但し、
古事記には神倭伊波礼毘古命の即位日の記載は有りません。
ご心配無き様?
以上で 「古事記上」 はお仕舞い。 続く。
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