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2012年5月27日 (日)

山幸彦 伍佰捌拾歳(580年)生存? 375

 お歳を召された方々はご存じとは思いますが、
 古い漢数字をお解りになる方は昨今は少ない筈。
 そこでご存じでない方にここで紹介致します。
 0=零 1=壱・壹 2=弐・貮 3=参・參 ここ迄は何処かで?
 ここからは余りお目にかかりません。
 4=肆 5=伍 6=陸 7=漆 8=捌 9=玖
 次に
 10=拾 100=佰・陌 1,000=仟・阡 10,000=萬
 麻雀をおやりになる方は最後の萬子(わんず)はご存じ。
 それでは、古事記の数字が出現する箇所を

 「日子穗穗手見命者
  坐高千穂宮
  伍佰捌拾歳」

 日子穗穗手見命者は火遠理命=山幸彦の事。
 その彼が「高千穂宮」に
 「伍佰捌拾歳」の間「坐(=在)」しましけり。
 この伍佰捌拾歳(=年)。
 上から、580年となるのです。
 すると、火遠理命=山幸彦は580年間生存した事に。
 幾ら何でも、
 火遠理命=山幸彦は仙人ではないのでこんな事はあり得ません。
 この580年について
 わたくしども ZIPANGU が
 この古事記訳で参考にさせて頂いている 「梅原猛」 さん(1925~)
 ですが、これにつきまして全くお触れになっておりません。
 又、いにしえでは 「本居宣長」 さん(1730~1801)
 はたまた、戦前の 「津田左右吉」 さん(1873~1961)
 更に、戦後の 「倉野憲司」 さん(1902~1991)
 らの皆さんも全くの触れず仕舞いです。
 昨今 「古田武彦」 さん(1926~)がやや触れておられる位。
 しかしながら
 「触らぬ神に祟りなし」 のスタンスではいけないと思うのです。
 古事記原作者はこの 「580年」 に必ずメッセージを挿入している
 と考えるのが自然では?
 単なる装飾数字とお茶を濁すのは余りにも失礼ではないかと。
 わたくしども ZIPANUGU は何れの御時に
 この数字を解きほぐそうと考えています。         
 ひとまず、この件はペンディングに。                          続く。

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2012年5月20日 (日)

豊玉姫命の妹、玉依姫命の登場 374

 「好き」 な相手に約束を違(たが)えられても相手への
 「嫌い」 な感情が上回ない限り 「好き」 な気持ちは継続。
 この 「好きな気持ち」 ってとても厄介な代物。
 モノに対する 「好き・嫌い」 は何とか解消できるものの
 感情を持つ相手には一筋縄では行かないのが世の常。
 「好きになってしまった。」 自己感情の否定は自己否定に。
 打算無く?相手に好意を持ってしまう
 「心の動き」 のメカニズム(仕組み)は解明し難い代物。
 又、打算無く相手を好きになるのかも不明・・・・・?
 この問題はちょいと取っておく事に。
 ところで、
 豊玉姫命は火遠理命=山幸彦を嫌いになった訳ではありません。
 「見て欲しくない姿態」 を彼に見られてしまっただけなのです。
 無思慮な火遠理命=山幸彦はここで無視すると
 彼女は単に 「気恥ずかしさ」 により彼との距離を隔てただけ。
 恥ずかしく感じ、その空間に存在する事にきまりが悪かっただけ。
 故に、この問題を解消する方法は (間髪を入れない)
 火遠理命=山幸彦が
 豊玉姫命に心を伴った詫びを入れれば終わり。
 「(こころからの)ご免なさい。」 で一件落着。
 この一言で彼女の 「気恥ずかしさ」 は少しだけ癒され、
 旧・元(もと)の鞘に収まるのです。
 しかしながら、
 ノー天気な火遠理命=山幸彦は 「機微」 を理解できず
 「ご免」 をいれない愚か者。
 「女らしさ」 と 「男らしさ」 も持ち合わせる
 海人 (海を生活の糧にしていた人々)、豊玉姫命
 「意地を通し」 続け彼の元には決して帰りません。
 只、我が子を彼の元においてきた事がとても気がかり。
 そこで、彼女は妹の 「玉依姫」 を派遣し我が子を養育する事に
 したのでしょう。
 (古事記ではこの事に全く触れていませんが。)
 年月が流れても彼への恋慕と我が子への情愛は増すばかり。
 そこで、彼女は通い乳母の玉依姫に伝言を委ねます。
 そのメッセージは
 
 阿加陀麻波 (あかたまは)
 袁佐閇比迦禮杼 (をさへひかれど)
 斯良多麻能 (しろたまの)
 岐美何余曾比斯 (きみがよそひし)
 多布斗久阿理祁理 (たっとくありけり)
 
 そしてこれに対する火遠理命=山幸彦のリスポンスは

 意岐都登理 (おきつとり)
 加毛度久斯麻邇 (かもつくしまに)
 和賀韋泥斯 (わがゐねし)
 伊毛波和須禮士 (いもはわすれじ)
 余能許登碁登邇 (よのことごとに)

 梅原猛さんは次の様に訳されています。
 「赤い玉は、
  それをそれを貫いている緒さえ光って見えるほど美しいが、
   白玉のようなあなたのお姿は、
  まことに、いとも貴いものでした」

 「沖つ鳥、鴨がいっぱいいる島で、
  わたしが一緒に寝たあなたのことは忘れない。
  わたしが生きている限りは」

 (「神々の流竄」 梅原猛著作集8 集英社 p430)

 上の訳ですと、お二人の縒(よ)りは決して戻らないのでは。
 この展開なら豊玉姫の未だに恋い焦がれる状況設定は不必要。
 お二人ともに新たな恋を求めれば一件落着の筈。
 何か狐につままれた感じで合点が行かない感じ・・・・・。  続く。

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2012年5月13日 (日)

古事記上巻ラスト原文 373

 漸く、古事記上巻のラスト迄辿り着く事に。
 ここでは豊玉姫命の妹、玉依姫が登場。
 それでは心して古事記原文を。

然後者
雖恨其伺情
不忍戀心
因治養其御子之縁
附其弟玉依毘賣而
獻歌之
其歌曰

阿加陀麻波
袁佐閇比迦禮杼
斯良多麻能
岐美何余曾比斯
多布斗久阿理祁理

爾其比古遲 (三字以音)
答歌曰

意岐都登理
加毛度久斯麻邇
和賀韋泥斯
伊毛波和須禮士
余能許登碁登邇

故日子穗穗手見命者
坐高千穂宮
伍佰捌拾歳御陵者
即在其高千穗山西也

是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
娶其姨玉依毘賣命
生御子名
五瀬命
次稲氷命
次御毛沼命
次若御毛沼命
亦名豐御毛沼命
亦名神倭伊波禮毘古命 (四柱)
故御毛沼命者
跳波穗
渡坐于常世國
稲氷命者
爲妣國而
入坐海原也

古事記上巻終

 来週読み解く事に。 ご期待を。                             続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P68の5行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2012年5月 6日 (日)

豊玉姫命のお産にあたり 372

 綿津見神(海神)の思惑通りお嬢さんの豊玉姫命に
 目出度く、火遠理命=山幸彦との愛の結晶が成就。
 表向きには綿津見神(海神)の宮殿に火遠理命=山幸彦は
 三年も滞在したと記載されていますので
 もしこの期間が正しいとすると長ーい事、お二人はお子さんに
 恵まれなかった事になります。
 この時代、ネットライフ等のその筋から与えられた 「遊び道具」 が
 きっと有りませんので若いお二人にとって
 夜の帳が下りてからのお楽しみは言わずもがなのコンコンチキ。
 ってな野暮は云わず、豊玉姫命はご懐妊。
 やがて臨月を迎え、
 念には念をで火遠理命=山幸彦に彼のお子さんと認知させる為
 綿津見神(海神)の助言で?豊玉姫命はわざわざ
 火遠理命=山幸彦が住まう所へ赴きます。
 彼に会うや否や
 「わたくしはあなたの子供を身籠もりました。
  程なく生まれるお日柄です。
  しかして、貴男の子供をわたくしの所で産むのは如何なものかと
  思い、貴男の所へ参りました。」 と。
 火遠理命=山幸彦はどう思ったのかの記述はありませんが
 「産屋」 を波打ちぎわ(波限=渚)に造る算段になりますので
 彼は嬉しく思ったに違い有りません。
 その産屋の屋根を水鳥(鵜)の羽根で葺いたのですから
 なかなかオシャレな感じでは?
 しかしこれって時間がかかりそう! 
 だって臨月を迎えているのに大丈夫かしら?と思いきや、
 案の定、下腹が堪えられない程痛くなり完成前の産屋に
 駆け込む始末。
 豊玉姫命はお産にあたり、火遠理命=山幸彦に、
 「わたしくしは、私達(海人)の風習に則り貴男の子を産見ますので
 お願いだからわたくしの姿態をご覧にならない様に」 と告げます。
 現代の日本に於いて産屋は大概 「産婦人科病院」 になります。
 そして、旦那様の立ち会い出産も日常のようです?
 産屋が病院になる以前はご自宅が産屋だったとか。
 自宅に産婆(助産婦)(大概は女性)さんが来られ、
 赤ちゃんの取り上げを手伝って下さったとの事です。
 更に歴史を遡ると
 どうしても大なり小なり出産に伴い出血を見ます。
 女性の出血はこればかりではなく日常的に
 「月に一度」 訪れます。
 故に女性は 「赤い血液」 とはお友達。
 しかしながら
 この特権(大変さ)を持ち得ない男性にとって 「赤い血」 は
 それはそれは死を予感させ、恐れおののく存在でした?
 従いまして、男性陣に取りましては忌み嫌う 「不浄」 なものと
 浅はかにも長期間考えられていたのです。
 上の理由で産屋はご自分の暮らす空間ではなく
 海辺・川辺・村境など人里離れた所に産小屋として設置され
 女性はそこで出産をしていた模様です。
 更に更にそれ以前、
 血液は不浄なモノと云う概念が有りませんので
 何時でも・何処でも・誰とでも?
 出産は自然な出来事だったとの事。
 されば、古事記では 「神代の時代」 でも飛鳥奈良時代を演繹して
 産屋(産殿)を設定していますので 「血液は不浄時代」。
 古事記に戻って、
 豊玉姫命に 「見ないで!」 とお願いされた火遠理命=山幸彦。
 秘匿されると
 何が何でも見てみたくなるのが浅はかな男性の性(さが)。
 火遠理命=山幸彦もこちら側に属する情けない男性で
 嫌(いや)らしくも、彼女の出産シーンを覗き見してしまうのです。
 この 「駄目って」 云われたにも関わらず掟破りをする男性が
 以前にも登場しています。
 そのお方は伊邪那岐命。
 そちらは 「土に還る伊邪那美命の姿」 で。
 又、産屋の描写は 「木花之佐久夜姫、三人の男子を出産」 でも。
 豊玉姫命の出産体位 (海人の出産風習) は
 如何ばかりであったかは不明ですが、
 きっと以て高天原一族文化・風習とは異なっていたのでしょう。
 覗き見に及んだ火遠理命=山幸彦は不甲斐なくも
 初めての体験シーンに恐れをなして逃げ出す顛末に。
 豊玉姫命は無事出産を終えた後に助産をしてくれた女性達に
 火遠理命=山幸彦の挙動を聞き及び、羞恥を覚えます。
 そして彼女は彼に訴えます。
 「私は貴男の元に通い婚をしようと考えていましたが
  貴男は私の願いを聞き入れずお産の姿をご覧になり
  私はとても気恥ずかしい思いをしました。」 と。
 訴えるや否や彼女は
 綿津見神国への海路を分からない様にしながら帰国の途に。
 こんな事情で彼女の産んだお子さんの名前は
 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
 (あまつひこひこ なぎさたけうがやふきあえずのみこと) と。
 水鳥の羽根で葺いた屋根付き産屋完成前に生まれた子と。
 又、念の押す様に古事記原作者は、
 波限=那藝佐(なぎさ)、葺草=加夜(かや)と読んでとの事。
                                                                 続く。

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