玉手箱でなく塩盈珠・塩乾珠の贈り物 368
とても失礼な仕草と思うのですが、
火遠理命=山幸彦は至れり尽くせりの豊玉姫命の目の前で
あからさまな大きな溜息をつくのです。
それも何て事か 「夜」 にです。
豊玉姫命は 「もはや、わたくしに飽きてしまった」 のかしらん?
と思ったかどうかは知り得ませんが、彼に、
「三年もの月日貴男とご一緒しましたが、
今日は一体どうされたのですか?」 と心配の余り思わず
お聞きになったのです。
さすが憚ったのか、踏ん切りが悪かったのか
彼女にその夜は口を開かなかった火遠理命=山幸彦。
純な?豊玉姫命は一睡もしなかったのではないかと。
もんもんと父、綿津見神の目覚めを待ち続ける長い時間。
明けぬ夜はない如く、やがて父親がお目覚め。
今か今かと待ち望んでいた彼女は一目散に父親のもとに。
経緯を聞いた綿津見神はこれは一族の一大事と
父親らしく極力感情を抑え、火遠理命=山幸彦に
溜息事情とここに来られた経緯をお聞きになるのです。
冷静沈着に問われた火遠理命=山幸彦は
「失いし鉤(釣り針)」 と 「塩椎神の助言」 を披瀝。
綿津見神(海神)の宮に来られたいきさつを聞き、
お嬢さんの豊玉姫命に愛想が尽きた訳でない事を
察した綿津見神は即、「失った鉤の探索」 に着手。
大海原に住まうありとあらゆるお魚さん達を呼び寄せ
「『失われた鉤』 の行方を知るものをおるか?」 と質問。
すると殆どのお魚さん達はその行方を知っている始末。
「その鉤」 は 昨今食が進まない 「赤海鯛魚」 の喉にと。
早速、綿津見神は 「赤海鯛魚」 から 「鉤」 を抜き洗浄。
「赤海鯛魚」 も大助かり。
そして釣り針を火遠理命=山幸彦にお渡しになる際、
訓誨(くんかい)=諭し教えます。
「この釣り針を貴男のお兄さん、火照命=海幸彦にお返しになる時
『この釣り針は淤煩鉤・須須鉤・悍鉤・宇流鉤』 と
後ろ向きの状態でおっしゃりなさい。」 と。
更に続けて
「火照命=海幸彦が高台に田圃を造成したら、
貴男は低地にお造りなさい。又、逆も真なり。
そうしたら、わたくしは水を掌握していますので
三年もしたら貴男のお兄さんは困窮します。
そうしてお兄さんが所得格差を恨み、
貴男の米蔵破りに戦いを挑んできた際は」
『塩盈珠(しおみつたま)』 をお出しになりお兄さんを溺れさせ
許しを請うたら
『塩乾珠(しおふるたま)』 を使い、助けておやりなさい。
この様にしてせいぜいお兄さんを苦しめて上げるのです。」 と。
かくして、綿津見神は火遠理命=山幸彦に
「塩盈珠」 と 「塩乾珠」 を贈り物として授ける事に。
こんな感じになると思うのですが、甚だ疑問が生じます。
火遠理命=山幸彦が綿津見神(海神)の宮にいらした
古事記の字面、三年間で玉手箱の力なのか?豊葦原中国は
狩猟採集時代(縄文時代)から水稲耕作時代(弥生時代)に
なぜか変貌を遂げているのです。
「塩盈珠」 ならぬ 「時盈珠」 をお出しになったのかしらん?
それはそれは 「おっ珠げっ」 てな感じに・・・・・。 続く。
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