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2012年1月29日 (日)

木花之佐久夜姫ご懐妊、古事記原文 358

 木花之佐久夜姫は邇邇藝命とのファーストラブ (一夜の契り) で
 ご懐妊あそばされます。
 何と、一夜で花が咲いてしまう、さすが、木花之佐久夜姫さん。
 そんな展開の古事記原文です。

故後木花之佐久夜毘賣
參出白
妾妊身
今臨産時
是天神之御子
私不可産故請
爾詔
佐久夜毘賣
一宿哉妊
是非我子
必國神之子
爾答白吾妊之子
若國神之子者
産不幸
若天神之御子者幸
即作無戸八尋殿
入其殿内
以土塗塞而
方産時
以火著其殿而産也
故其火盛燒時
所生之子名
火照命(此隅隼人阿多君之督)
次生子名
火須勢理命(須勢理三字以音)
次生子御名
火遠理命
亦名天津日高日子穗穗手見命(三柱)

 次週に読み解きます。          続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P61の13行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2012年1月22日 (日)

木花之佐久夜姫と石長姫 357

 大山津見神の大きな心の計らいを受けた邇邇藝命、
 しかしながら訪れた木花之佐久夜姫のお姉さん、石長姫を
 どうもお気に召さず、
 彼女を大山津見神の許(もと)に返してしまう始末。
 お気に召さなかった訳はと云えば、古事記表現では 「甚凶醜」 と。
 この 「凶」、(作物の出来・縁起・運など) が悪い意味。
 どうもこの邇邇藝命は了見が狭く、今日しか目に入らないお方?
 お正月気分も抜けた頃合いですが、(大)凶は 「おみくじ」 なら
 現状は最悪だけどこれ以上は悪くなる事はなく、
 明日への希望が開けるなかなか良い 「くじ」 に。
 又、「醜(しこ)」、これは強く頑丈な意味。
 麗しい木花之佐久夜姫のお姉さん故、
 きっと以て容貌が醜い筈がありません。
 たぶん、(気弱な?) 邇邇藝命にとって
 石長姫が木花之佐久夜姫に比してやや男勝りの点が気がかり
 だったのでは。
 基本的に逞しい?男性ならお一人よりお二人の方が
 何かと・・・・・?
 それはさて置き、
 邇邇藝命は木花之佐久夜姫と即日に合体。
 一方、大いに恥辱を受けた大山津見神は
 石長姫を慮り、尚かつ、邇邇藝命の短慮を憂い
 邇邇藝命に異議申し立て・諫言する行為に及びます。

 「私の大事な娘二人を邇邇藝命の許に侍らせた理由とは。
  先ず、姉の石長姫の方は
  貴男のお命が雪が降ろうと風が吹き荒れようと
  常に岩(石)の様に、永遠にあって欲しいとの願い。
  又、妹の木花之佐久夜姫の方は
  この花が (毎年々々) 栄える様に貴男の子孫繁栄への願い。
  これらの願いを込めて二人を邇邇藝命に託したのです。
  しかしながら、姉をお返しになり、妹のみを留めおかれた事で
  邇邇藝命のご寿命は
  この花の様にぱっと咲き儚く散ってしまうかも知れません。」 と。

 こう云う訳で、今に至る迄、
 天皇命(すめらきのみこと)等はご長命(寿)ではないのです。
 ここでの古事記表現は非常に現実味を帯びています。
 古事記は712年撰上とされています。
 (今年は丁度1300年当たる年に。)
 更に、天皇命(すめらきのみこと)等、の 「等」 とも記述。

 この時代の短命だった帝、及び、帝の子息は

 弘文帝 (648~672) 享年24歳 戦闘死
 建皇子 (651~658) 享年07歳 病死
 草壁皇子 (662~689) 享年27歳 病死
 大津皇子 (663~686) 享年23歳 政略死
 文武帝 (683~707) 享年24歳 病死

 この飛鳥時代は帝、及び、帝候補に短命が続き、
 天武帝(?~686)崩御以降、
 持統帝(称制686~在位690~697)(645~702)
 元明帝(在位707~715)(661~721)
 元正帝(在位715~724)(680~748)
 と3名の女帝が男系天皇制を継続させる為
 リリーフ役を買う羽目に。
 当然、古事記原作者はこれらを踏まえて記述されたと考えます。
                            続く。

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2012年1月15日 (日)

木花之佐久夜姫に一目惚れ 356

 「麗美人」 麗しい美人=木花之佐久夜姫。
 彼女に出逢った邇邇藝命は一瞬で胸ドキューン、魅了されます。
 昨年の秋冬ドラマコレクション中、圧倒的に人気を博した
 「家政婦のミタ」。
 このドラマでは 「日本の女性(母)」 の理想像として
 媚びない事を前提条件とした
 「結城うらら(麗)」 と命名されていましたね。
 それは、さて置き、彼女の父は大山津見神。
 彼のお嬢・お孫さんは彼女以前にも古事記に登場しています。
 そのお方は、須佐之男命に嫁いだ
 お嬢さんの大市姫とお孫さんの櫛名田姫
 このお二人はクリックしてご確認をお願いします。
 さて、見目麗しい木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)
 又の名を神阿多都姫(かむあたつひめ)さんは
 (邇邇藝命にナンパされるのですが) そこは朗らか・天真爛漫な
 彼女のことですから邇邇藝命に名前を尋ねられても全く怯みもせず
 「私は木花之佐久夜姫よ」 って素直に受け答え。
 名前を聞いた邇邇藝命はお次はスマホナンバーかと思いきや
 さにあらず、次なるお尋ねは 「あなたの兄弟は?」 と。
 木花之佐久夜姫は 「なして私の兄弟を」 と訝(いぶか)りながらも
 心が純で澄み切っていますから
 「私には 『石長姫(いわながひめ)』 と云うお姉さんがいますわよ」
 ってお返事。
 性急にも邇邇藝命は 「美しい姫」 を逃してはならじとばかりに
 即、プロポーズ。
 大人の咲くや(佐久夜)姫は当然 (甚だ失礼ですがお尻が重く)
 焦らし作戦を採用。
 彼の権威には少しも屈せず、
 「(すげなく) 私にはお答えできません。その様な大事な事は、
  私の父親にお聞き下さいませ。」 との、肘鉄砲を一発お見舞い。
 邇邇藝命もこの対応に冷静さを取り戻し我に返り、
 しかるべき使者を立て彼女の父親、大山津見神に取りなす事に。
 厳かに訪ねられた大山津見神、
 豊葦原中国の行く末を鑑み、
 大切なお嬢さん(木花之佐久夜姫)への求婚を承諾、
 更に木花之佐久夜姫のお姉さん、石長姫をもお供に、
 又、更に食べ物に不自由しない様どっさり進呈。
 「至れり尽くせりの 『おもてなし。』」       続く。

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2012年1月 8日 (日)

木花之佐久夜姫 古事記原文 355

 遅ればせながら、「明け・おめ」 です。
 皆様におかれまして良いお年をお迎えに?
 今年も宜しくお願い申し上げ奉る次第です。

 それでは、見目麗しく・気丈夫な 「木花之佐久夜姫」 が登場。
 艶やか過ぎる表現ですが先ずは古事記原文を。

於是天津日高日子番能邇邇藝命
於笠沙御前遇麗美人
爾問誰女
答白之
大山津見神之女
名神阿多都比賣(此神名以音)
亦名謂木花之佐久夜毘賣(此五字以音)
又問有汝之兄弟乎
答白我姉石長比賣在也
爾詔
吾欲目合汝奈何
答白僕不得白
僕父大山津見神將白
故乞遣其父大山津見神之時
大歡喜而
副其姉石長比賣
令持百取机代之物
奉出
故爾其姉者
因甚凶醜
見畏而
返送
唯留其弟木花之佐久夜毘賣以
宿爲婚
爾大山津見神
因返石長比賣而
大恥

送言
我之女二竝立奉由者
使石長比賣者
天神御子之命
雖雪零風吹恒如石而
常堅不動坐
亦使木花之佐久夜毘賣者
如木花之榮
榮坐宇氣比弖(自宇下四字以音)貢進
此今返石長比賣而
獨留木花之佐久夜毘賣故
天神御子之御壽者
木花之阿摩比能微(此五字以音)坐
故是以至于今
天皇命等之御命不長也

 次週に読み解きます。
                            続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P60の9行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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