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2011年12月 4日 (日)

大伴金村⇒伴善男と久米歌・舞 351

 又々、古事記は脈絡殺しで突然、
 豊葦原中国に赴く邇邇芸命一行の
 近衛(親衛)隊 (邇邇芸命側用人) の紹介が入ります。
 その親衛(近衛)隊は

 天忍日命 (あめのおしひのみこと) 大伴連等の祖
 天津久米命 (あまつくめのみこと) 久米直等の祖

 このお二人の内、大伴氏は日本史に数多(あまた)登場されます。
 時系列で

大伴金村 (?~?) 越前在住、彦主人王の子を継体帝に(507)
大伴長徳 (?~651) 右大臣(649)
大伴吹負 (?~683) 壬申の乱(672)で天武帝側将軍
大伴旅人 (665~731) 大宰帥(724~729)で詩人・歌人
大伴家持 (718?~785) 万葉集の編纂
大伴弟麻呂 (731?~809) 初の征夷大将軍(794)
伴善男 (811~868) 応天門の変(866)
伴保平 (867~954) 参議(939)

 伴善男は本来は大伴善男と名乗る筈ですが、
 大伴親王(淳和天皇)(786~840)の諱(いみな)の為、
 大伴氏は 「伴氏」 と改姓。
 伴善男以後、大伴氏は日本史の教科書に登場しませんが
 伴保平が大伴氏では最後の参議。
 又、伴善男の政敵、藤原氏の始祖、藤原鎌足(614~669)、
 (中臣鎌足 ⇒ 藤原鎌足 は 669年)
 彼の母は大伴吹負の妹、(大伴)智仙娘さんなのです。
 今現在でも藤原氏の末裔の方々は要職にお着きで
 669年~2011年、約1300年以上の歴史をお持ちですが
 一方、大伴氏は歴史記述されている
 大伴金村から最後の参議、伴保平までで約450年以上に渡る
 輝かしい歴史をお持ちになっているのです。
 一方、もうお一方、久米氏は個人の武勇伝は伝わっていませんが
 勝ち鬨(どき)時 (闘いに勝利した際) の歌と舞が
 現在に伝わっています。
 「久米歌」・「久米舞」として。
 久米歌は宮内庁楽師が雅楽歌曲として演奏され、
 久米舞は明治時代以降 「大嘗会(だいじょうえ)」 の際に
 宮中で舞われているとの事ですが宮中祭祀の事ゆえ不明。 続く。

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