大伴金村⇒伴善男と久米歌・舞 351
又々、古事記は脈絡殺しで突然、
豊葦原中国に赴く邇邇芸命一行の
近衛(親衛)隊 (邇邇芸命側用人) の紹介が入ります。
その親衛(近衛)隊は
天忍日命 | (あめのおしひのみこと) | ⇒ | 大伴連等の祖 |
天津久米命 | (あまつくめのみこと) | ⇒ | 久米直等の祖 |
このお二人の内、大伴氏は日本史に数多(あまた)登場されます。
時系列で
大伴金村 | (?~?) | 越前在住、彦主人王の子を継体帝に(507) |
大伴長徳 | (?~651) | 右大臣(649) |
大伴吹負 | (?~683) | 壬申の乱(672)で天武帝側将軍 |
大伴旅人 | (665~731) | 大宰帥(724~729)で詩人・歌人 |
大伴家持 | (718?~785) | 万葉集の編纂 |
大伴弟麻呂 | (731?~809) | 初の征夷大将軍(794) |
伴善男 | (811~868) | 応天門の変(866) |
伴保平 | (867~954) | 参議(939) |
伴善男は本来は大伴善男と名乗る筈ですが、
大伴親王(淳和天皇)(786~840)の諱(いみな)の為、
大伴氏は 「伴氏」 と改姓。
伴善男以後、大伴氏は日本史の教科書に登場しませんが
伴保平が大伴氏では最後の参議。
又、伴善男の政敵、藤原氏の始祖、藤原鎌足(614~669)、
(中臣鎌足 ⇒ 藤原鎌足 は 669年)
彼の母は大伴吹負の妹、(大伴)智仙娘さんなのです。
今現在でも藤原氏の末裔の方々は要職にお着きで
669年~2011年、約1300年以上の歴史をお持ちですが
一方、大伴氏は歴史記述されている
大伴金村から最後の参議、伴保平までで約450年以上に渡る
輝かしい歴史をお持ちになっているのです。
一方、もうお一方、久米氏は個人の武勇伝は伝わっていませんが
勝ち鬨(どき)時 (闘いに勝利した際) の歌と舞が
現在に伝わっています。
「久米歌」・「久米舞」として。
久米歌は宮内庁楽師が雅楽歌曲として演奏され、
久米舞は明治時代以降 「大嘗会(だいじょうえ)」 の際に
宮中で舞われているとの事ですが宮中祭祀の事ゆえ不明。 続く。
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