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2011年11月27日 (日)

竺紫日向之高千穗??? 350

 突然の血脈説明が終わりを告げ、本題?に戻る古事記。
 いよいよ、邇邇芸命一行らは高天原を出発、
 彼らを遮る自然の猛威に堪えやがて、
 高天原と豊葦原中国の境、「天浮橋」 に到着。
 次の件(くだり)が古事記研究者にとって厄介な箇所。
 取り急ぎその表現は

於天浮橋
宇岐士摩理蘇理多多斯弖(自宇以下十一字亦以音)
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣(自久以下六字以音)

 先ず、宇岐士摩理蘇理多多斯弖のすべて音でと言われても・・・。
 「うきしまりそりたたして」 ここはちんぷんかんぷん。
 次の、竺紫日向高千穗の 「くしふるたけ」 って?

因みに、梅原猛さんはここを
 「筑紫の日向の国の、たいへん霊力があるといわれる高千穂の峰
  に天降りさせなさった。」 と訳されています。
 (神々の流竄 梅原猛著作集 8 集英社 P419)

 竺紫 筑紫
 日向 日向(ひむか=ひゅうが)国
 高千穗 固有名詞に

 この竺紫の表記は 「伊邪那岐命の服と小物」
 「到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而 禊祓也」
 として出現。
 伊邪那岐命が禊ぎをされた処です。
 日向 = 日向国と規定して九州 ⇒ 筑紫 = 竺紫 の構造に。
 これに従いますと、伊邪那岐命は今の宮崎県のどちらかで
 禊ぎをされたことに。
 日向の別読みは 「ひなた」、「ひむかい」。
 日が燦々、日の出る東と云う解釈は不可能に。
 又、高千穗を固有名詞とする場合、
 宮崎県西臼杵郡高千穂は宮崎県北部、
 更に、高千穂峰とすると宮崎県南部になるのです。
 真相は 「神のみぞ知る。」 って事で下駄を預けます。
 これが究明されると日本の生い立ちがきっと以て解るのでは?
                            続く。

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