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2011年11月13日 (日)

古事記出稿時の伊勢神宮 348

 漸く、高天原を出発する事に相成った
 邇邇芸命・思金神を隊長とする豊葦原中国への遠征の展開に
 なると思いきや、ここで、
 古事記原作者は現在 (古事記出稿時) の話を差し込むのです。
 そこの処の原文は

此之鏡者 專爲我御魂而 如拝吾前 伊都岐奉
次思金神者 取持前事爲政
 ここで、古事記出稿時代に。
此二柱神者
拝祭佐久久斯侶伊須受能宮(自佐至能以音)
次登由宇氣神
此者坐外宮之度相神者也
次天石戸別神
亦名謂櫛石窓神
亦名謂豐石窓神
此神者
御門之神也
次手力男神者
坐佐那縣也

 素直に読み解くと
 邇邇芸命・思金神は (天照大御神)を
 「さくくしろ」 の 「五十鈴宮(伊勢神宮)」 に斎祀られた。
 伊勢神宮のH.P.には諸事情で 「縁起」 は記載されていません。
 そこで、いきなり、わたくしどもも飛鳥時代にタイムスリップ。
673年 斎王制度確立後、
   天武帝の皇女、大来(大伯)皇女が斎王として泊瀬斎宮へ
674年 この年、彼女は伊勢国へ赴く
675年 天武帝の皇女 十市皇女と天智帝の皇女 阿閇皇女(元明帝)
   のお二人が伊勢神宮を参詣
 とされていますのでこの時代には 「伊勢神宮」 は存在。
 古事記原作者は邇邇芸命・思金神の二柱の名を借り、
 伊勢神宮に於いてお祀りする神は天照大御神である事に。
 そして、ついで気味に豊受神は外宮(度会(わたらい)の宮)に。
 豊受神(豊受姫)はかなり以前 「豊宇気毘売は豊饒の化身」
 で紹介しましたのでご覧下さい。
 又、突如、豊葦原中国への遠征隊として登場した
 天石戸別神=櫛石窓神=豊石窓神 は宮廷御門の神と。
 更に、手力男神は佐那(奈)の県(あがた)宮に祀られている神と。
 (佐奈村は昭和30年に三重県多気郡多気町に。)      続く。

追 梅原猛さんはこの 「此二柱神者」 を
    なぜか、天照大御神・思金神とされています。
    この二柱(神)は五十鈴宮(伊勢神宮)に祀られていると。
    古事記の流れでは、邇邇芸命・思金神となるのでは?
    それとも何か深い縁起が隠されているのかしら

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