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2011年9月25日 (日)

大国主神、高天原側に屈服 古事記原文 341

 いよいよ、大国主神が高天原軍団の圧倒的な 「力」 に屈服する
 シーンが記載されている箇所に。
 それでは、そこの古事記原文を。

故更且環來
問其大國主神
汝子等
事代主神
建御名方神二神者
隨天神御子之命
勿違白訖
故汝心奈何
爾答白之
僕子等二神隨白
僕之不違
此葦原中國者
隨命既獻也
唯僕住所者
如天神
御子之天津日繼所知之
登陀流(此三字以音。下效此)
天之御巣而
於底津石根
宮柱布斗斯理(此四字以音)
於高天原
氷木多迦斯理(多聟斯理四字以音)
而治賜者僕者
於百不足八十◎手一隱而侍       ◎は丘に頁
亦僕子等
百八十神者
即八重事代主神
爲神之御尾前而
仕奉者
違神者非也如此之白而
乃隠也
故随白而
於出雲國之多藝志之小濱
造天之御舎(多藝志三字以音)而
水戸神之孫
櫛八玉神
爲膳夫
獻天御饗之時
擣白而
櫛八玉神化鵜
入海底
咋出底之波邇(此二字以音)
作天八十毘良迦(此三字以音)而
鎌海布之柄
作燧臼
以海蓴之柄作燧杵而
鑽出火云
是我所燧火者
於高天原者
神産巣日御祖命之登陀流天之新巣之凝烟(訓凝烟云洲須)之
八拳垂摩弖燒擧(摩弖二字以音)
地下者
於底津石根焼凝而
栲繩之
千尋繩打延
爲釣海人之
口大之
尾翼鱸(訓鱸云須受岐)
佐和佐和邇(此五字以音)
控依騰而
打竹之
登遠遠登遠遠邇(此七字以音)
獻天之眞魚咋也
故建御雷神
返參上
復奏言向和平葦原中國之状

 読み解きは来週に。  続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P54の11行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2011年9月18日 (日)

建御名方神の登場 340

 事代主神を陥落させた建御雷神は更に大国主神に詰問。
 「事代主神以外にお前の息子の中で問いただす奴はおるか?」 と
 大国主神は
 「もう一人、建御名方神がおります。彼以外はおりますまい。」 と
 そうこうしている内、
  建御名方神(たてみなかたのかみ)がたいそう重い石を
 軽々と手で持ち上げ登場、
 「誰が我が国へ来て忍び声でゴチョゴチョ言っておるのか?」 と
 この表現から建御名方神は異国の方と認識している事が判明。
 「然らば、能書きはそれ位にして力競べをしようぞ。」 と
 豊葦原中国一番の力持ちを自負する建御名方神は
 「我が先にそなたの手を取らせよ。」 と
 建御名方神は先制攻撃で勝機を掴もうとしたやも。
 徐に、建御名方神は建御雷神の手を取り、ねじ伏せようとした所、
 その手は、いきなり立氷(たちひ=氷柱)に成り、
 又、剣の刃に変身する始末。
 この変身術にめっちゃ恐れおののき、
 建御名方神は手を離し後退りの呈。
 そして、今度は建御雷神の番。
 彼は 「そんじゃ、お前の手を取らせ。」 と
 建御名方神はしびしぶ手を取らすと、
 彼の手は建御雷神にとって、赤子の腕の様。
 そんな、か弱な相手を情け容赦なく投げ飛ばした建御雷神。
 慌てて、この現場からトンズラをこく建御名方神。
 (ちょいと情けない)
 遁走する建御名方神を追う建御雷神。
 逃げ足が速かったのか
  「科野國之洲羽海」 で漸く建御雷神が追いつく事に。
 力量差から云えば信濃の国、諏訪湖までよく逃げ通した感じも。
 逃走経路は海、或いは、陸?
 海だと敵には天鳥船神(高速ジェット船)保有から陸逃走に?
 高速艇が使用不可の川と陸利用、
 或いは、日本海沿岸伝いで糸魚川に上陸の諏訪湖へやも。
 只、如何せん豊葦原中国一番と思われる 「荒ぶる神」 でも
 その時代では豊葦原中国に比して格段に高い科学技術を
 保持していた高天原軍団には敵 (かな) わなく
 敢え無くも建御名方神は降参、命乞い。
 建御名方神を祀る 「諏訪大社」 は降参した事に触れていません。
 諏訪大社の紹介欄に
 「諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では
  出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、
  そこに国を築いたとあり、
  また日本書紀には
  持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。」
 と記されているのみ。
 御由緒も頁を割くことなく、
 「下社 秋宮」 ⇒ 頁最後部、「下社秋宮 説明看板」 で
 御祭神 建御名方神 八坂刀売神(やさかとめのかみ)
 御由緒  我国最古の神社の一つであり、信濃国の国造りなされた
            のち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり
            信濃国一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く
            全国一万有余の諏訪神社の総本社である  としか。
 又、建御名方神の連れ合い、八坂刀姫神は古事記・日本書紀共に
 登場しない姫神。 科野美人だったのでしょう?      
 「信州科野の蕎麦よりもわたしゃあなたの側がよい」 ってか。続く。

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2011年9月11日 (日)

事代主神の登場 339 

 大国主神は時間稼ぎを計ると共に次代を担う息子達に
 高天原側の豊葦原中国強奪計画へのコメントを委ねます。
 と同時に彼らにも高天原側の 「戦力」 を見極めさせる意図が?
 息子達の一番手は
 八重言代主神=八重事代主神。
 尚、彼の事は 「大國主神の奮戦記」 で紹介済み。
 彼はこの時点ではこの地にはおらず
 「往御大之前」 ですから御大之前に行(往)っていたとの事。
 因みに、梅原猛さんは御大之前を 「美保の岬」 と。
 これに従いますと
 建御雷神と大国主神が対峙する稲佐浜と美保の岬は
 島根半島の西と東の端同士。約60㎞の距離差。
 この日はたまたま農作業がお休みだったのか
 八重言代主神は美保の岬迄遠出し、
 鳥を追っかけ、魚と興じていらしたご様子。
 稲佐浜地区は都会過ぎ、自然を求めて美保の岬へ?
 中々優雅な振る舞い。
 言代主神との表記から大国主神に代わって言う役目?
 この状況を知った建御雷神はお供の天鳥船神に
 彼の呼び寄せを依頼、天鳥船神は高速ジェット船ですから
 約60㎞北西の美保の岬へはひとっ飛び。
 事情を聞いた言代主神は手こぎ舟で父と建御雷神がおられる
 稲佐浜へ還る事に。
 十中八九、言代主神は天鳥船神(高速ジェット船)を目の前にして
 「戦力差」 を実感したのだと考えます。
 は稲佐浜に到着するや否や
 父の大国主神に訴えます。
 ここで、言代主神 ⇒ 事代主神に表記転換されています。
 帰りすがら、高天原側との圧倒的な武力差を思い、
 父、大国主神らが苦労して豊葦原中国にしたこの国の召し上げを
 父に承諾させる事が忍びなく、彼はその 「事」 を父に代わり
 為さざるを得ないと状況分析。

 「恐之」
 「(これは畏れ多い事です。)」
 「此國者立奉天神之御子」
 「(この国は天照大神のご子息に奉ることに致しましょう。)」

 更に彼は恭順の姿勢を指し示す為、
 ご自分ご愛用の舟を (怒りを殺そうとの思いも制御不能で)
 ご自分のおみ足でバキバキバキッーと踏み倒し、
 「天逆手矣於青柴垣打成而 隱也(訓柴云布斯)」 との事。
 この 「天の逆手」 と 「青柴(ふし)垣」 は何とやら?
 素直な読みでは事代主神が
 「青柴(ふし)垣」 と云う物体に 「天の逆手」 を打って
 この現場からどちらかに行かれたって事なのですが。
 因みに 「美浦神社 青柴垣神事」 の動画をご覧下さい。
 これでは全くいやはや・・・・・。                                    続く。

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2011年9月 4日 (日)

建御雷之男神の登場 338

 再々度、高天原側は協議。
 二度の失敗を経験しましたので展開上最強の戦士を
 送り込まなくてはなりません。(三度目の正直)
 そこで、今度は高木神ではなく 「思金神」 らが熟慮。
 今回エントリーされた方
 天尾羽張神(あめのおはばりのかみ) と
 もし彼の都合が悪い場合はその息子の
 建御雷之男神(たてみかずちのおのかみ) の
 お二人に白羽の矢。
 天尾羽張神のお住まいは天の安河上流、天の石屋。
 この天尾羽張神は社交嫌いの引き籠もり好きなのか
 天の安河の水を塞き止め、道を封鎖しているものですから
 誰もが彼とコンタクトできない状況。
 そこで、天迦久神(あめのかくのかみ)が抜擢され
 天尾羽張神に事情を告げる事に。
 なぜ、天迦久神だったかは後程。
 天迦久神のメッセージに天尾羽張神は
 「恐之」「仕奉」
 「(これは畏れ多い事です。)」「(謹んでお仕え申し上げます。)」
 との事。
 只、この役目柄を彼自らでなく、息子の建御雷之男神に委任。
 豊葦原中国への派遣は建御雷神に決定。
 サポーターとして天鳥船神(あめのとりふねの神)。
 天鳥船神は伊邪那美命と伊邪那岐命が造りたもうた自然神。
 この神は海上をかっ飛ばす高速ジェット船感じ?
 この二神は命を受け、出雲国へまっしぐら。
 着いた先は 「伊那佐之小濱(いなさのおはま)」
 稲佐浜、因佐神社と云う地名、神社が現存。
 いよいよ建御雷神のブラフ(脅し)の始まり。
 腰に下がる長い剣を抜き、上陸せず浅瀬にいたのか?
 波打つ海に剣を逆刺しにして高速ジェット船の甲板に
 どかっと座ったポーズをとる建御雷神。
 何故か、彼の目の前にいらした大国主神。
 その大国主神に建御雷神は臆せず高天原の野望を伝え
 それに対する反応及びコメントを要求。
 大国主神は突然の暴挙にとまどい、
 時間稼ぎの為か、「僕者不得白」
 「(わたくしにはお答えできません。)」 と。      
 ここで頓挫しておいた天迦久神について
 建御雷神は 「鹿島神宮」 で祀られています。
 そのH.P.の 「境内散歩」 ⇒ 「鹿園」 で
 天迦久神は何と 「鹿」 だった記されています。
 鹿でしたらどんな急斜面でも上り下り可能ですよね。    
 又、今となってはかなり昔ですが
 「日本の神々と仏教伝来」 で鹿島神宮を紹介しました。   続く。

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