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2011年8月28日 (日)

建御雷之男神、古事記原文 337

 ここからは、大変有名な箇所に。
 高天原、天照大御神 高木神らの神々が
 大国主神一族から彼らが治めていた豊葦原瑞穂国を
 取り上げてしまうドラマ展開。
 やや、長いですが一気に。
 
於是天照大御神詔之
亦遣曷神者吉
爾思金神及諸神白之
坐天安河河上之天石屋
名伊都之尾羽張神
是可遣(伊都二字以音)
若亦非此神者
其神之子建御雷之男神
此應遣
且其天尾羽張神者
逆塞上天安河之水而
塞道居故
他神不得行
故別遣天迦久神可問
故爾使天迦久神
問天尾羽張神之時答白
恐之
仕奉
然於此道者
僕子建御雷神可遣
乃貢進
爾天鳥船神
副建御雷神而遣
是以此二神
降到出雲國伊那佐之小濱而(伊那佐三字以音)
拔十掬劔
逆刺立于浪穗趺坐其劔前
問其大國主神言
天照大御神 高木神之命以
問使之
汝之宇志波祁流(此五字以音)
葦原中國者
我御子之所知國
言依賜
故汝心奈何
爾答白之
僕者不得白
我子八重言代主神
是可白然
爲鳥遊取魚而
往御大之前
未還來
故爾遣天鳥船神
徴来八重事代主神而
問賜之時
語其父大神言
恐之
此國者立奉天神之御子
即蹈◎其船而           ◎は丘に頁
天逆手矣於青柴垣打成而
隱也(訓柴云布斯)
故爾問其大國主神
今汝子事代主神
如此白訖
亦有可白子乎
於是亦白之
亦我子有建御名方神
除此神無也
如此白之間
其建御名方神
千引石
擎手末而來
言誰來我國而
忍忍如此物言
然欲爲力競
故我先欲取其御手
故令取其御手者
即取成立氷
亦取成劔刃
故爾懼而退居
爾欲取其建御名方神之手
乞歸而取者
如取若葦
△批而投離者       △は手偏に益
即逃去
故追往而
迫到科野國之洲羽海
將殺時
建御名方神白

莫殺我
除此地者
不行他處
亦不違我父大國主神之命
不違八重事代主神之言
此葦原中國者
隨天神御子之命獻
故更且環來
問其大國主神
汝子等
事代主神
建御名方神二神者
隨天神御子之命
勿違白訖
故汝心奈何
爾答白之
僕子等二神隨白
僕之不違
此葦原中國者
隨命既獻也
唯僕住所者
如天神
御子之天津日繼所知之
登陀流(此三字以音。下效此)
天之御巣而
於底津石根
宮柱布斗斯理(此四字以音)
於高天原
氷木多迦斯理(多聟斯理四字以音)
而治賜者僕者
於百不足八十◎手一隱而侍
亦僕子等
百八十神者
即八重事代主神
爲神之御尾前而
仕奉者
違神者非也如此之白而
乃隠也
故随白而
於出雲國之多藝志之小濱
造天之御舎(多藝志三字以音)而
水戸神之孫
櫛八玉神
爲膳夫
獻天御饗之時
擣白而
櫛八玉神化鵜
入海底
咋出底之波邇(此二字以音)
作天八十毘良迦(此三字以音)而
鎌海布之柄
作燧臼
以海蓴之柄作燧杵而
鑽出火云
是我所燧火者
於高天原者
神産巣日御祖命之登陀流天之新巣之凝烟(訓凝烟云洲須)之
八拳垂摩弖燒擧(摩弖二字以音)
地下者
於底津石根焼凝而
栲繩之
千尋繩打延
爲釣海人之
口大之
尾翼鱸(訓鱸云須受岐)
佐和佐和邇(此五字以音)
控依騰而
打竹之
登遠遠登遠遠邇(此七字以音)
獻天之眞魚咋也
故建御雷神
返參上
復奏言向和平葦原中國之状

 お疲れ様でした。                                            続く。
                        
 尚、web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P52の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2011年8月21日 (日)

阿治志貴高日子根神の弔い模様 336

 夫、天若日子を亡くした下照姫の哭(泣)く声が風に響き渡り
 やがて、高天原に到った。
 これで高天原側は
 天若日子が命に背き死に至った事実を知る事に。
 天若日子の父、天津国玉神と彼の妻子もこの情報を聞き、
 豊葦原瑞穂国、出雲国へ馳せ参じ、嘆き悲しんだ。
 (天若日子はちゃっかり高天原でも妻を娶りお子さん迄も・・・。)
 下照姫と高天原の妻との諍いは無かったのか疑問ですが、
 展開的には、高天原風の弔いで執り行ったのか?
 天若日子が亡くなった処を喪屋にしてお葬式。その役割分担は

 河鴈 岐佐理持(きさりもち) 配膳係
 鷺 掃持 清掃係
 翠鳥 御食人 調理係
 雀 碓女 調達係
 雉 哭女 演奏係

 上の様に定め、お葬式を8日間昼夜を問わず挙行した。
 「遊也」 ですからめそめそ無くしの大宴会?
 その際、阿遅志貴高日子根神が喪に来られた。
 この神は阿遲(二字以音)△高日子根神。<△は金偏に且>
 彼は天若日子と容姿が非常によく似ていた為、
 天若日子の父を高天原の妻は哭(泣)きながら
 「わたくしの子は死なないでここにいた」
 「わたくしの夫は死なないでここに座っていらっしゃる」 と云い
 阿遅志貴高日子根神の手足に縋 (すが) りつき哭(泣)いた。
 しかしながら、阿遅志貴高日子根神は憤慨し
 「我は愛しい友ゆえ弔いにきたのだ。
 何で吾を亡くなった天若日子と比するのだ」 と云い
 腰に下がる十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜き、
 喪屋を木っ端微塵に切り伏せ、足で蹴散らしてしまった。
 この喪屋は美濃国、藍見河の河上にある 「喪山」 となった。
 木っ端微塵に切り伏せた大刀の名を 「大量」 と謂(云)う。
 又の名を 「神度の剣」 と謂(云)う。
 阿治志貴高日子根神も怒り心頭でこの現場から飛び去ったらしく
 その際、妹の下照姫は兄の名前を世に知ら示す為に
 歌を一句詠まれた。

 阿米那流夜 天なるや
 淤登多那婆多能 おとたなばたの
 宇那賀世流 うながせる
 多麻能美須麻流 玉のみすまる
 美須麻流邇 みすまるに
 阿那陀麻波夜 あな玉はや
 美多邇 みたに
 布多和多良須 ふたわたらす
 阿治志貴 阿治志貴
 多迦比古泥能 高日子根の
 迦微曾也 神ぞや

 この歌は 「夷振」 である。 と古事記は結んでいます。
 阿遅志貴高日子根神 = 迦毛大御神賀茂(鴨)大御神
 をご覧下さいませ。
 又、夷振は古代歌謡曲名の一つ、宮廷お取り上げの大歌。 続く。

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2011年8月14日 (日)

還矢可恐 雉之頓使の語源 335

 天若日子が高木神の射返した矢に中って亡くなった記述の後、
 わざわざ古事記原作者は注釈を加えています。
 「還矢可恐」 (還(帰)矢恐るべし) の本源と。
 物理的には直線の矢は射っても自分の元には返って来ません。
 故に、これは矢の的中度を上げる為に精進せよって事?
 確かに射られた矢が当らなかった場合、相手は反撃可能に。
 しかし、天若日子は雉名鳴女の胸を射抜いていますし?
 更に、追っかけ本文でも射抜かれ亡くなった雉名鳴女について
 奈良時代初期に使われていた諺?
 「雉之頓使」
 (きぎ(じ)のひたづかい) はこの事が元になっていると。
 雉の頓使とは、行っても帰ってこない役立たずの使いって事。
 ちょいと前では 「鉄砲玉」・「梨(無し)の礫(つぶて)」。
 しかし、この雉名鳴女は全く役立たずの使いではありません。
 ちゃんと命(めい)を果たしています。
 報告でき得なかったのは相手に命(いのち)を断たれただけ。
 高天原にとって、雉之頓使に当たるのは天若日子になる筈。
 「還矢可恐」・「雉之頓使」 これらは古事記時代に於いては
 現代に生きるわたくし達の想像を超える深ーい意味合いが
 あったやも知れません。
 昨今の
 飛び道具は遥かに殺傷力は強く
 情報探知は 「メール」 でちょちょいですから・・・・・。
 RE(返信メール)がないのは無事な証拠ではなく完璧拒否に。
 「殺し文句」 も相手に気がなければ無駄打ちですし、
 メール文字表現ゆえ、
 「雉も鳴かずば打たれまい」 も不必要な諺に???  続く。

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2011年8月 7日 (日)

天佐具女の進言で射られる雉名鳴女 334

 雉名鳴女は忠実に任務を遂行。
 ところが、突如、天佐具賣(女)(あめのさぐめ)さんが出現。
 一体、この女性は誰なの?
 「天」 がついてるから高天原側のお方かしら
 であれば、天若日子は豊葦原瑞穂国、出雲国に赴いた際に
 お一人で来られたのではないのかしら
 やっぱり、一人では何かと寂しいもの?
 それは、さておき、
 さっぱり系の古事記では端折りが多いので
 この天佐具女についても何も語ってくれていません。
 各々、状況を鑑み読み解く事をお薦めに・・・・・。
 と云うことで、先に進む事に。
 天佐具女さんは何か苛立ち気味だったのか
 高天原の伝言役、雉名鳴女のメッセージに
 いちゃもんをつけるのです。
 それも伝言内容には触れず、
 「彼女の声がとても汚いっ」
 更に、何て事か
 「だから、彼女をこの世から消してっ」 と
 天若日子に進言してしまう始末。
 この後が又々、不可解な展開になるのです。
 天佐具女さんの進言を天若日子は間髪を入れずに
 実行してしまうのです。(天若日子は天佐具女の関係は?)
 彼は、高天原で授かった武器、弓矢を持ち出し
 いきなり、雉名鳴女を射貫いてしまうのです。
 その矢は威力が凄く、雉名鳴女の胸を貫き、
 天安河の河原、野外広場におられた
 天照大御神と高木神のところ迄届いてしまうのです。
 この高木神は高御産巣日神の別な名前なんですって。
 高木神は急いでこの矢を取って見ると
 その矢羽根に血痕が付着している事実を突き止め
 更に、この矢自身も天若日子に賜ったものと気づき、
 天安河の河原、野外広場に集う神々に告げるのです。
 「天若日子が命に背かず、悪神を射た矢がここに届いているなら
  奴には中(あた)るまい。
  或いは天若日子に邪心があればこの矢に中れ」 と。
 そして、高木神はおもむろにその矢を取り、
 矢が飛んできた穴から衝き返したのです。
 その矢はたまたま胡床(こしょう=簡易腰掛け)でうとうとしていた
 天若日子の胸を貫き、彼は往生してしますのです。      続く。

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