阿治志貴高日子根神の弔い模様 336
夫、天若日子を亡くした下照姫の哭(泣)く声が風に響き渡り
やがて、高天原に到った。
これで高天原側は
天若日子が命に背き死に至った事実を知る事に。
天若日子の父、天津国玉神と彼の妻子もこの情報を聞き、
豊葦原瑞穂国、出雲国へ馳せ参じ、嘆き悲しんだ。
(天若日子はちゃっかり高天原でも妻を娶りお子さん迄も・・・。)
下照姫と高天原の妻との諍いは無かったのか疑問ですが、
展開的には、高天原風の弔いで執り行ったのか?
天若日子が亡くなった処を喪屋にしてお葬式。その役割分担は
河鴈 | 岐佐理持(きさりもち) | 配膳係 |
鷺 | 掃持 | 清掃係 |
翠鳥 | 御食人 | 調理係 |
雀 | 碓女 | 調達係 |
雉 | 哭女 | 演奏係 |
上の様に定め、お葬式を8日間昼夜を問わず挙行した。
「遊也」 ですからめそめそ無くしの大宴会?
その際、阿遅志貴高日子根神が喪に来られた。
この神は阿遲(二字以音)△高日子根神。<△は金偏に且>
彼は天若日子と容姿が非常によく似ていた為、
天若日子の父を高天原の妻は哭(泣)きながら
「わたくしの子は死なないでここにいた」
「わたくしの夫は死なないでここに座っていらっしゃる」 と云い
阿遅志貴高日子根神の手足に縋 (すが) りつき哭(泣)いた。
しかしながら、阿遅志貴高日子根神は憤慨し
「我は愛しい友ゆえ弔いにきたのだ。
何で吾を亡くなった天若日子と比するのだ」 と云い
腰に下がる十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜き、
喪屋を木っ端微塵に切り伏せ、足で蹴散らしてしまった。
この喪屋は美濃国、藍見河の河上にある 「喪山」 となった。
木っ端微塵に切り伏せた大刀の名を 「大量」 と謂(云)う。
又の名を 「神度の剣」 と謂(云)う。
阿治志貴高日子根神も怒り心頭でこの現場から飛び去ったらしく
その際、妹の下照姫は兄の名前を世に知ら示す為に
歌を一句詠まれた。
阿米那流夜 | 天なるや |
淤登多那婆多能 | おとたなばたの |
宇那賀世流 | うながせる |
多麻能美須麻流 | 玉のみすまる |
美須麻流邇 | みすまるに |
阿那陀麻波夜 | あな玉はや |
美多邇 | みたに |
布多和多良須 | ふたわたらす |
阿治志貴 | 阿治志貴 |
多迦比古泥能 | 高日子根の |
迦微曾也 | 神ぞや |
この歌は 「夷振」 である。 と古事記は結んでいます。
阿遅志貴高日子根神 = 迦毛大御神 = 賀茂(鴨)大御神
をご覧下さいませ。
又、夷振は古代歌謡曲名の一つ、宮廷お取り上げの大歌。 続く。
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