日本国は倭国の別種なり 328
「後漢書(ごかんじょ) 東夷列伝倭人条」
(范曄(398~445)が撰、432年?成立) で
建武中元二年
倭奴國奉貢朝賀
使人自稱大夫
「建武中元二年(AD 57年)
倭奴国が貢を奉して朝賀する。
使人は自ら大夫と称す。」
「隋書 東夷伝俀(倭)国条」
(魏徴(580~643)らが撰、636年成立) で
安帝時
又遣使朝貢
謂之倭奴國
「安帝の時、又、遣使が朝貢。
これを倭奴國と言う。」
新羅百濟皆以俀爲大國
多珎物
並敬仰之
恒通使往來
「新羅・百済はみんな俀(倭)をもって大国となす。
珍しいもの多し。
両国並びて倭国を仰ぎ敬う。
恒に使いを通わし往来する。」
これらの件(くだり)の後々にメジャーな記述が。
日出處天子致書日沒處天子無恙云云
「日出る処の天子、日没する処の天子に書をしたためます。
(煬帝さまにおかれましては)恙(つつ)なしや。
(ご機嫌麗しくおわせます)云々(うんぬん)。」
こちらはさておき、次に、
「旧唐書(くとうじょ) 東夷伝倭国条・日本国条」
(劉昫(887~946)らが撰、945年成立) で
倭國者古倭奴國也
去京師一萬四千里
在新羅東南大海中
「倭國はいにしえ倭奴國なり。
一万四千里都を去り
新羅東南大海中に在る。」
日本國者倭國之別種也
以其國在日邊
故以日本爲名
或曰
倭國自惡其名不雅
改爲日本
或云
日本舊小國
並倭國之地
「日本国は倭国の別種なり。
その国日辺にあるを以て
故に日(の)本を以て名とする。
或いは言う。
倭国自らその名雅ならざるを悪(にく)み
改めて日本となす。
或いは言う。
日本は旧小国
倭国の地を並(ならべ、つら)ねる。」
旧唐書を撰集した劉昫らは、
1 倭国は古くは倭奴国と
倭国と日本国については
A 日本国は倭国とは別の国と
B 又、倭国は倭に雅感がないので日本国と改めたと
C 更に、日本国は古くは小さな国で後、倭国を併合したと
1の記載は非常に重要です。倭国は倭奴国 ⇒倭国に。
又、次のA~Cは劉昫らの情報源が多岐にわたっていたか、
或いは、確かな情報が無く、特定できなかった事に。
因みに古事記は712年なる。 続く。
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