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2011年6月 5日 (日)

奇妙な少名毘古那神 325

 何とも奇妙な神、「少名毘古(彦)那神」。
 神産巣日神に取ってはそれ程印象に残っていない
 存在なのかしら
 (何せ、「落ちこぼれ分子」 なのですもの。)
 羽毛を羽織っている訳だから
 寒い処からいらしたか、寒がりか、斬新でお洒落なお方の筈。
 舟で来られたので
 海上移動しかできない処からいらした事に。
 或いは、馬を駆って移動するよりも短時間で到着可の処から。
 大国主神の問いに答えられないのは
 ひょとしたら言葉が理解できなかった?
 少名毘古(彦)那神、本人のみでなく、彼の従者も
 分からないとの答えから大国主神の言葉を全員理解不能で
 何やら 「異国」 から来られた感じも。
 更に、彼と葦原色許男命(大国主神)は彼の父、
 神産巣日御祖命(みこと)の命(めい)により 「兄弟」 に成り
 葦原色許男命(大国主神)が統べる国を堅固にする事に。
 大穴牟遲(大国主神)と少名毘古那神は協力し合い
 やがて、立派な?国が出来上った感じ。
 古事記原作者はわざわざここで大穴牟遲と表記しています。
 大穴牟遲表記のお初は 「稻羽之素菟」 のお話しに
 そして、この 「大穴牟遲」時代から 「葦原色許男」時代に変容
 する時点は、須勢理姫と愛を育んだ後に。
 その事については、
  「逞しい葦原色許男に須勢理姫」 でご確認を。
 と云うことは、大国主神の初期、
 初(うぶ)で若々しく大胆だった大穴牟遲の時代から
 少彦名神(少名毘古那神)と協力し合い国造りをし、
 やがて、時を経て豊穣な美しい国を造り上げ、宇都志国(國)玉神
 に成るまで少彦名神はお付き合い下さった事に。
 しかし、大国主神とかなり長い期間過ごされてと思う
 少彦名神(少名毘古那神)について、どの様なお方だったのか
 古事記原作者は全く情報を与えてくれていません。
 更に、少彦名神は目処が立ったと思われたのか?
 勝手に、さっさと 「常世国」 へいってしまうのです。
 この常世国と云っても、どの時代の常世の国かさっぱり?
 常世(とこよ)の国って一体どこよ?
1 遥か遠い海の彼方に有るのではないかと想像した国。
2 道教ライクでは不老不死の国。
3 死して赴く国。黄泉(よみ)の国。
 因みに梅原猛さんは古事記伝に則り、黄泉の国とされています。
 何れにせよ、少彦名神(少名毘古那神)が大国主神が住まう
 処から去ってしまった事だけは事実。
 もし、少彦名神が他界されたのでなければ、
 彼は国造りのノウハウを大国主神に伝えきり、形が見始めたので、
 昨今では、
 「一定の目処が立った。」 ので次の未開の地に旅立った
 とも考えられます。
 しかし、この発想では彼は海外から来られたと前提として
 既に文化国家であったと思われる、お隣中国からの密偵に。
 ただ、これも考えにくい事、何せ彼の父は神産巣日神。
 又、大国主神と手を携え国造りを援助した
 かけがえがない 「神」 にも関わらず、
 それ相応の神社が存在していません。
 やはり、少彦名神(少名毘古那神)は不可思議で奇妙な神。
 彼の事はひとまずこれ位にして先に進みます。      続く。

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