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2010年12月26日 (日)

宇都志国玉神は美玉(魂)の持ち主 305

 先週は毎日の忘年会続き、
 何やら、体から力=魂が抜け出た感じでお休みを。
 そして今日は先々週の 「玉=魂」 の続き。
 大国主神(命) = 宇都志国玉神の 「玉 (たま)」。
 この 「たま」 は 「たましい」 = 「魂」。
 折口信夫氏の言葉をお借りすると
 「抽象的なもので、体に、這入つたり出たりするもの」。
 この魂は肉体に出入りできるしろもの。
 そう云えば、体育会系で良く聞く事。
 「今の動きには 『魂』 が入っていない」 と。
 又、こんな云い方が
 「あの世への旅立ちは肉体から 『魂』 が抜ける事」 って。
 この抜けた魂は 「霊(たま)」 に。
 だからお通夜の席への不祝儀は 「御霊前」。
 それはさておき、
 昔、むかしの日本人は
 この 「魂(たま)」 が
 肉体に宿っている状態を 「人=大人」 と規定。
 その 「魂(たま)」 には、
 和魂 (にきたま) と荒魂 (あらたま) が存在すると。
 和魂は和 (やわ) らぎ和 (なご) む気持ち。
 荒魂は荒 (あら) ぶる元気な心持ち。
 この和・荒、二つの魂(たま)がつり合う情況を最良と。
 このような和魂・荒魂の情況は 「美魂(玉)」 と云うしか・・・・・。
 この 「美玉」 が宿る処が人の 「心(しん)の臓(ぞう)」 に。
 従いまして、古事記原作者は
 大国主神(命)を宇都志国玉神 (うつくしくにたまのかみ) と
 名付ける事に相成ったと考える、わたくしども ZIPANGU です。
 荒 (新) 魂(玉) (あらたま) の 「年」 はもうそこまで。

 今年も一年ご愛読ありがとうございました。
 きたる年も何卒ご愛顧の程宜しく存じ奉ります。
 それでは、良いお年を。           続く。

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2010年12月12日 (日)

「霊魂の話」 折口信夫氏 304

 折口信夫氏の 「霊魂の話」 は昭和4年(1929年) に
 どちらかで講演された筆記録との事です。
 以下、このお話しを整理してみます。
 
 先ず彼は 「たま」 と 「たましい」 とは異なると規定。
 「たま」 と云う概念が先にあり、
 後に 「たましい」 の観念が生じたと推量。
 
 「日本の 『神』」 はいにしえの言葉で
 「たま」 と称えるべきものであったと。
 「たま」 がやがて 「神」 と置き換えられた。
 昔言葉 「たま」 と 今言葉 「神=たま」 との併用状況。

 「たまは抽象的なもの」 で、時より 「姿を現すもの」 と。 
 その 「たま」 が 「神」 となり、
 その下に 「もの」 と称えられるものが考えられる様にも。
 ここで 「たまの概念分化」 の発生。 人から見て、
 「たま」 の善部分・・・・・「神」
 「たま」 の悪部分・・・・・「もの」
 と範疇分けされる。 「たま」・「神」・「もの」 三者共存状態に。
 
 この後、「たまの性質」・概念がイメージできるとして
 古代日本人の 「ものの生まれ出る方法と順序」 の説明。
 それを 「卵生」 をサンプルとして展開。
 「穴のあいていない容れ物」(卵)
 「の中に、入ってくるものがたま」 (この状態が 「なる」 の本義)
 その 「たま」 が入った卵が 「ある期間を過ごすと」
 その卵の殻を 「破って出現する。」
 この状態を 「なり出(い)ず」 と。
 ここより、「たまとたましひ(い)との区別」 の結論の間は
 折に触れ再度触れることにします。
 その 「たまとたましひ(い)との区別」 で
 折口信夫氏は 「たましひ(い)」 とは
 「知識でなく、力量・才能などの意味に使はれて居るので、
 活用する力・生きる力の意を持つ」
 「少くとも、働いてゐ(い)る力、といふ事にはなるのである。」
 又、「目に見える光りをもつたもの、尾を曳いたものではない。」
 とし、最終的には
 「抽象的なもので、体に、這入つたり出たりするものがたま
 だつたのであるが、
 いつか其(それ)が、此(これ)を具体的に示した、
 即(すなわち)、
 たまのしんぼるだつたところの礦(鉱)石や動物の骨などだけが、
 たまと呼ばれ、                   
 抽象的なものゝ方は、たましひ(い)と言ふ言葉で、
 現される様になつた。
 大変な変化が起つた訣(訳)である。」
 更に、これでは話し足りなかったのか?
 「此(この)、たまとたましひとの区別に就いては、
 いづれ機会を見て、もう一度話をして見たいと思ふ。」
 と結んでおられます。
 
 そして、「たま」 と 「たましい」 への漢字配当は 「魂」。
 「霊」 の訓読みは 「たま」 のみ。                            続く。

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2010年12月 5日 (日)

たま・霊・魂を語る折口信夫氏 303

 「大和魂 (やまとだましい)」 の広辞苑では
①和魂(わこん)。
 学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。
②日本民族固有の精神。勇猛で潔いのを特性とする。
 と説明しています。
 (①和魂の 「実生活上の知恵・才能」 のみなら異議あり。)
 (②も勇猛で潔いと云うだけではないとは考えます。)
 これらに対する異議申し立てを明らかにしようと云う思いもあり
 今現在、古事記読みをしている最中 (も・なか)?
 しか(而)して、実態は・・・・・。
 (急がば回れ。)
 (急いては事を仕損じる。)
 そうは云っても、
 (急かなきゃ物事始まらない。)
 と云うことで、
 「漢学」 は特に儒学、広くは、諸子百家等の中国学問。
 それに対して、
 「国学 ⇒ 柳田新国学 ⇒ 折口学」 は儒教・仏教渡来以前の
 わが国固有の文化、及び、精神を明らかにしようとする学問。
 「レイ(霊)・コン(魂)」 ではなく
 「たま(霊・魂)」 なので、
 ここは 「国学 ⇒ 柳田新国学 ⇒ 折口学」 のお力を借りる事に。
 その折口信夫(しのぶ)(1887~1953)さんが、
 たまたま 「霊魂の話」 と云うタイトルで
 「たま (霊・魂)」 を論じておられます。 (出典 青空文庫)
 是非ともご一読を。   続く。

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