宇都志国玉神は美玉(魂)の持ち主 305
先週は毎日の忘年会続き、
何やら、体から力=魂が抜け出た感じでお休みを。
そして今日は先々週の 「玉=魂」 の続き。
大国主神(命) = 宇都志国玉神の 「玉 (たま)」。
この 「たま」 は 「たましい」 = 「魂」。
折口信夫氏の言葉をお借りすると
「抽象的なもので、体に、這入つたり出たりするもの」。
この魂は肉体に出入りできるしろもの。
そう云えば、体育会系で良く聞く事。
「今の動きには 『魂』 が入っていない」 と。
又、こんな云い方が
「あの世への旅立ちは肉体から 『魂』 が抜ける事」 って。
この抜けた魂は 「霊(たま)」 に。
だからお通夜の席への不祝儀は 「御霊前」。
それはさておき、
昔、むかしの日本人は
この 「魂(たま)」 が
肉体に宿っている状態を 「人=大人」 と規定。
その 「魂(たま)」 には、
和魂 (にきたま) と荒魂 (あらたま) が存在すると。
和魂は和 (やわ) らぎ和 (なご) む気持ち。
荒魂は荒 (あら) ぶる元気な心持ち。
この和・荒、二つの魂(たま)がつり合う情況を最良と。
このような和魂・荒魂の情況は 「美魂(玉)」 と云うしか・・・・・。
この 「美玉」 が宿る処が人の 「心(しん)の臓(ぞう)」 に。
従いまして、古事記原作者は
大国主神(命)を宇都志国玉神 (うつくしくにたまのかみ) と
名付ける事に相成ったと考える、わたくしども ZIPANGU です。
荒 (新) 魂(玉) (あらたま) の 「年」 はもうそこまで。
今年も一年ご愛読ありがとうございました。
きたる年も何卒ご愛顧の程宜しく存じ奉ります。
それでは、良いお年を。 続く。
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