なぜ、伯岐國之手間山へ 291
ここで、大国主神登場以降の
古事記表記における地理スポットを確認しておきます。
出雲国
氣多之前(気多の岬)
稻羽(因幡)の八上比賣(姫)
稻羽(因幡)の素菟(兎)
以上が表現されている地名。
因幡の素兎とされていますので気多の岬は
因幡国の何処かの海岸線に。
先行する大国主神の兄弟は八上姫にプロポーズし
キツイお断りを頂いていますので
既に八十神 (大国主神の兄弟達) は
八上姫の住まっている所に到着している事に。
更に大きな袋を背負っている大国主神も
丸々裸のうささんに気多の岬で出会っていますので
彼も因幡国に入っている状況。
にも関わらず古事記の展開は次の様に。
故爾八十神怒
欲殺大穴牟遲神共議而
至伯岐國之手間山本云
八上姫につれなくされた八十神達は
怒り心頭で、愚かにも大穴牟遲神の抹殺を謀議。
ここまではよいのですが、
次に 「伯岐國之手間山」 と云う地名が出現。
手間山は何処か不明ですが、伯岐國は伯耆国になる筈。
出雲国から北上すると伯耆国 ⇒ 因幡国の順序。
皆さん、大穴牟遲神 (大国主神) も含め既に出雲国に
お邪魔しているのですから
わざわざお隣の伯耆国に戻る事になってしまいます。
ここがとても不思議な点。
そして、この手間山の麓と山中で大穴牟遲神 (大国主神) は
兄弟である八十神達の大イジメ (虐め) にあうのです。 続く。
web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P35の3行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。
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