« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月29日 (日)

梅原猛さんの八岐大蛇読み 289

 前回、梅原猛さんのイナバノシロウサギ (稻羽之素菟) 読みを
 紹介しましたので、今回はもう一つの重要な伝説である
 八俣遠呂智 (古事記表記) =八岐大蛇
 梅原猛さんのヤマタノオロチ (梅原猛さんの表記) 読み解きを。
 この説は 「神々の流竄(るざん)」 (すばる創刊号) 1970年6月に
 出稿されました。
 この 「神々の流竄」 と前回の 「蔭の部分」 は
 「日本精神の系譜」 と題された連載論文の
 最初と二回目に当たります。
 又、前回も記しました様にこの 「神々の流竄」 は
 「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社」 1981年9/23発行の
 自序で今はこの説に50% 「否定的な意見をもっている。」
 と記されています。 しかし、どっこい、
 ヤマタノオロチ物語はイナバノシロウサギ物語より30%も確率が
 高く、この時点 (1981年) では半分肯定されているのです。
 再度、(以前は八俣遠呂智(おろち=大蛇)は一体、何?
 ここで、ヤマタノオロチを描写した古事記原文を。

彼目如赤加賀智而
身一有八頭八尾
亦其身生蘿及桧榲 
其長度谿八谷峽八尾而
見其腹者
悉常血爛也(此謂赤加賀知者今酸醤者也)

 「彼(そ)の目は赤加賀智(あかかがち)の如くして、
 身一つに八頭八尾(やかしらやお)有り。
 亦その身に蘿(こけ)と桧榲(ひすぎ)と生(お)ひ、
 其の長(たけ)は
 谿八谷峽八尾(たにやたにをやを)に度(わた)りて
 其の腹を見れば、
 悉に常に血爛れつ」
 (「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社」 p62)

 上記がヤマタノオロチの特徴です。
 赤加賀智(あかかがち)は
 古事記の注釈で酸醤 (漿)=ほおずき と説明されています。
 それでは、梅原猛さん説は
 
 「ヤマタノオロチ = 三輪山」 とされました。

 檜、椙(杉)が生い茂り、蘿(苔)むす山。
 「悉に常に血爛れつ」 については (本人、三輪山現地調査結果)
 「杉は冬になると赤くなる。十一月から三月までの間、それは
 赤い色をしていた。 中略 
 『悉に常に血爛れつ』 は、杉のあかのゆえではないか。」
 (前出 p69)

 三輪山 (みわやま) は大和、現在、奈良県桜井市にある山。
 三輪山すべてがヤマタノオロチ (八岐大蛇)
 「山の神 (神山自然信仰)」 = 大神神社 (おおみわじんじゃ)
 神社は、「大神」 をわざわざ 「おおみわ」 と読ませています。
 更に、この大神神社の 「ご由緒」 には
 「三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられており、
 我が国最古の神社」 と銘打たれています。
 オロチ=大蛇に関して、大神神社は特に述べておられません。
 因みに広辞苑での 「おろち (大蛇)」 の説明は、
 「(オは「峰」、ロは接尾語、チは霊威あるものの意)
  きわめて大きな蛇。うわばみ。だいじゃ。
  古事記上 「高志(コシ)の八俣(ヤマタ)の―」 と。
 神社側では 「既成の事実」 として扱っておられるのかも。
  であるならば、この伝説は梅原猛さんの説をフォローし、
 出雲神話ではなく、大和三輪神話になる事に・・・・・。
 又、神社の 「ご祈祷・授与品のご案内」 での
 「うさぎ(兎)」 グッズと
  「卯 (う) の日祭」 の 「うさぎ」 が気になる箇所です・・・。
 「うさぎ追いし、(三輪) 山♪」 かも?
 てな感じなんですが、古事記の読みを先に進めてます。
 梅原猛さん説は又、それに伴い触れさせて頂く事に。    続く。

| | コメント (0)

2010年8月22日 (日)

梅原猛さんの稻羽(因幡)之素菟読み 288

 この古事記伝説を梅原猛さんは若干45歳で独自の論を
 展開されました。
 時は1970年、70年安保闘争の年。
 この年、梅原猛さんは
 「大学紛争」 に伴い教授の職を辞しています。
 その年に出稿された 「蔭(かげ)の部分」 (すばる2号) の中で
 この稻羽(因幡)之素菟を取り上げています。
 但し、梅原猛さんはこれから紹介する説を
 「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社」 1981年9/23発行の
 自序で今はこの説に80% 「否定的な意見をもっている。」
 と記されていますのでその旨お願い致します。
 又、稻羽(因幡)之素菟を
   イナバノシロウサギと記されています。

 それでは、梅原猛さんイナバノシロウサギ読みへ。

 素菟の素 = 「裸」。
 淤岐嶋 = 「沖ノ島 (福岡県宗像市)」。
 菟神 = 宗像三神 ⇒ 道主貴(ちぬしのむち) ⇒ 宗像族
 海和迩 = 綿津見三神 ⇒ 志賀島 ⇒ 阿曇族
 和迩(ワニ) ≒ 船かも

 そして、ウサギの移動は
 「宗像族は、
   白村江の敗戦以来、沖ノ島を引き揚げる必要があった。
 もう中継基地は必要ない。ウロウロしていると唐の水軍が攻めてく
 るかもしれぬ。引き揚げるには、沢山の船が必要だ。阿曇に頼んで 
 船を準備する。
  そして引き揚げに成功したが、おそらくその謝礼のこ
 とで阿曇との間にトラブルがあったのだろう。」 (前出 p135)
 
 次に禊ぎ (梅原さんはミソギと) について
 綿津見三神 ⇒ 阿曇族 ⇒ 海水によるミソギ
 海水によるミソギ ⇒ 浴海鹽 (塩)
 宗像三神の内で大島(中津宮) ⇒ 宗像族 ⇒ 真水によるミソギ
 真水によるミソギ ⇒ 水洗 (天之眞名井)
 更に、大島(中津宮)は七夕伝説の発祥の地と。 (天安河)
 
 そして、ミソギ(禊ぎ)の違い件は 
 (禊ぎは裸で水浴び。ウサギが治癒したのは真水を浴びたから。)
 「阿曇的なミソギから、
    宗像的なミソギへ。そのミソギの変化の背後
  には、海洋国から農業国への日本国家の転身の歴史がある。
  海の神から陸の神へと、
  神自体が変わらねばならない歴史の必然がある。」 (前出 p136)

 と展開されました。
 梅原猛さんの基本的スタンスは
 「出雲地方」 を旧体制の神々の追放先としています。
 故に、稻羽之素菟 (兎) の稻羽を出雲の隣である因幡地方
 と考えません。
 従いまして、淤岐嶋 (おきのしま) を島根県の隠岐島とせず、
 北九州と対馬の間にある、沖ノ島として論を進められました。
 約10年後、彼はこの説を80%否定的にされましたが
 なかなか、味わいのある論理展開と思われませんか?
 素菟 (兎)さんを宗像族を考察。
 その宗像三神を祀る 「宗像大社」
 その宗像大社で現在も行われている秋の 「みあれ祭」。
 海上一面の舟・舟・舟。
 この上を兎さんがぴょんぴょん跳ねて北九州に上陸したと
 考える事はロマン溢れるのでは・・・・・。         
 (宗像大社H.P.のスライド6枚目と7枚目)          続く。

| | コメント (0)

2010年8月15日 (日)

旧暦7/7棚機津女=七夕伝説 287

 今日の深夜00時00分~夜明けの間に 「神」 がやって来る。
 これが、日本古来の棚機津女=七夕伝説だったのです。
 神を今か今かとお待ちしている方は棚機津女さん。
 棚機津女 (たなばたつめ) さんは当然、素敵な女性。
 概して、巫女 (みこ・すずしめ・めかんなぎ) さんとされています。
 この巫女さんは一般的に未婚のお嬢さんとされていますが、
 民俗学者の折口信夫さんは
 1 生娘
 2 バツイチ女性 (×2×3も大丈夫。)
 3 当日のみ夫を遠ざける女性
    のどちら様でも良かったと考察、結論づけておられます。
 今、ここでは、その事は問いません。
 巫女さん=素敵な女性は神が現れるまでに
 彼 (神) 用の神衣 (かむみそ) になる服地を
 織り上げなくてはいけませんので結構たいへんなお役目。
 (その後のスゥイートなお仕事も含め・・・。)
 さて彼女の相手の彼 (神) はと云うと
 今秋の 「五穀豊穣」 を保証して下さる方でしたら
 遥か遠い海の彼方からいらっしゃろうが、
 天空から舞い降りてこられようが、
 気高い山から下山されて来ようが、
 ご先祖様 (祖霊) であろうが、
 はたまた、村で一番の未婚イケメン男性であろうが、
 誰でも良かったのです。
 なにせ、最終目的は何と云っても今秋の五穀豊穣。
 更に付け加えれば
 「時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、
           忍ひ難きを忍ひ、
              以て万世の為に太平を開かむ。」
              (1945年8/15玉音放送より抜粋)
 とお誓い下さる神々ならもっと最高っ。
 その彼 (神) が今日の夜、
 お久し振りの上弦の月が沈む頃合いに
 やってきて下さるのが棚機津女=七夕伝説のお話し。
 このお話しに、お隣、中国より伝来の
 「西王母伝説」 とをミックスしたのが七夕伝説。
 (織姫=織女=ベガと彦星=牽牛=アルタイルとの天の川逢瀬。)
 勘がよろしい方はもうお気づきでしょう? このお話しは
 既に、「建速須佐之男命 V.S. 天照大御神」 で紹介してるのです。
 再度、抽出してみます。

故爾各中置天安河
宇氣布時
天照大御神先
乞度建速須佐之男命所佩十拳劍
打折三段而
奴那登母母由良迩(此八字以音 下效此)振滌天之眞名井而

 「天の安河をはさんで誓約をなされたが、そのときに、天照大御神
 がまず、建速須佐之男命がはいてらっしゃる十握の剣を貰い受け、
 三つに折って、玉の音もさやかに、天の真名井で振り清めて」
 (神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社 p391)
 奴那登 (ぬなと)=瓊 (玉) 音

 古事記に従えば、
 素敵な女性は天照大御神になり、彼は建速須佐之男命
 と云う事になってしまうのです。
 稗田阿礼と太安万侶さんの創作力って
 凄いとお思いになりません。
 そして、その後、
 天照大御神さんは、うさ(宇佐)さん=宇佐・宗像一族を
 お生みになられたのです。
 と云う事は、羽のうさ (宇佐) さん=宇佐・宗像一族は
 日本に作農耕文化を伝えて下さった方々になるのでは・・・。
 又、織姫=織女=ベガの件は、「道教 北極星・太一星・紫色」 で。
                         続く。

| | コメント (0)

2010年8月 8日 (日)

稻羽(因幡)之素菟の正体は 286

 前回までが稻羽(因幡)之素菟(兎)のお話しです。
 ところで、この稻羽(因幡)之素菟を
 古事記原作者である、稗田阿礼と太安万侶さんは
 一体、誰 (何) をイメージして創作したのでしょうか。
 素菟は大概、皆さん 「しろうさぎ」 と読んでいます。
 「素」 は
 白色。無地。 生(き)のまま。 物事の元。
 と云う意味合いで英語では 「シンプル (simple)」 感じ。
 それ故、形容詞の 「素」 を
 特に 「白色」 に特定する事ができないのではないでしょうか。
 だから、黒色・茶色・灰色一色の菟(兎)さんでも良いのです。
 (人・集団としたら、「元々の」 と云う形容詞になる筈です。)
 次に、名詞の 「菟(兎)」 さんです。
 これは、誰 (何) かを想定している筈です。
 うさぎさんは 「うささん」。
 うささんと来るとシンプルにイメージできるのは大分の 「宇佐」。
 そして、「宇佐神宮」 の祀る神々

 一之御殿 八幡大神 (誉田別尊=応神天皇)
 二之御殿 比売大神
 三之御殿 神宮皇后 (息長帯姫命)

 宇佐神宮の由緒に依りますと
 「宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、
 神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に
 記されています。
 比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、
 地主神として祀られ崇敬されてきました。」
 (宇佐嶋は御許山 (おもとやま) と説明されています。)

 従いまして、この地区の元々の神々は
 「比売大神」 と云う事になります。
 比売大神は 「須佐之男命の落とし種 宗像三女神 250」
 紹介しました、
 多岐津姫命 (たぎつひめのみこと) 沖ノ島の沖津宮
 市杵嶋姫命 (いちきしまひめのみこと) 大島の中津宮
 多紀理姫命 (たぎりひめのみこと) 田島の辺津宮
 宇佐神宮はこのお三方、宗像三女神を祀っているのです。
 
 と云う事は宗像地区グループと宇佐地区グループは
 ご先祖様を一緒にする一族になります。
 更に、
 素菟(兎)さん正体は、宇佐・宗像一族となってしまうのです。
                                                              続く。

| | コメント (0)

2010年8月 1日 (日)

お肌に良い、真水とパウダー(蒲黄) 285

 この稲羽(因幡)の素菟(兎)における
 古事記原作者のプロット (筋書き) は非常に大胆です。
 先ずは 「現状」 を描写し、その訳はと云う展開。
 氣(気)多前 (けたみさき) で
 身ぐるみ剥がされ、丸々裸で泣き伏しているうささん。
 そんな彼女に興味を抱かない八十神さん達は
 「丸々裸のうささん 281」 で紹介した感じの展開に。
 更に、古事記原作者も強調したかったのか
 ここの描写をリフレイン (refrain) します。

先行八十神之命以
誨告浴海鹽當風伏
故爲如教者
我身悉傷

 八十神達に遅れをとりながらも、
 歩んでいた大穴牟遲神 (大国主命) は
 氣(気)多前でこの丸々裸姿のうささんに出逢い
 あられもない姿態の事情を彼女に問いただします。
 その件が稲羽(因幡)の氣多前(けたみさき)騒動 282
 プラス、八十神達の助言 (甲羅干しでもしていたら) を聞いた
 大穴牟遲神 (大国主命) は決して彼女の非を咎めず
 即効性のある適切なアドバイスをします。
 (大穴牟遲神も取り分け彼女の姿態
  にさして興味を示さない事が不可思議ですが・・・・・。)

於是大穴牟遲神
教告其菟
今急往此水門
以水洗汝身
即取其水門之蒲黄
敷散而
輾轉其上者
汝身如本必差
故爲如教其身如本也

 そのアドバイスは
 急いで水門 (みと・みなと=河口) に行き、
 真水で身体を洗い、
 水門近くで生い茂っている
 蒲 (かま・がま) の黄色の花粉を摘み、
 それを、辺り一面撒き散らし
 (架設パウダーベッド・メーキング)
 その上で輾轉(転)=何度も寝返りをうちなさいとの事。
 さすれば貴女のひりひり肌は元の柔(やわ)肌に戻る事でしょう。
 取り急ぎ、肌が痛くて仕方がないうささんは
 早速、大穴牟遲神 (大国主命) の云う通りにすると
 痛さが和 (やわ) らいだのでした。
 と云うお話なんです。
 何やらお風呂上がりで天花粉を塗(まぶ)されたベイビー感じ?

此稻羽之素菟者也
於今者謂菟神也

 これが、稻羽(因幡)之素菟(兎)の顛末。
 そのうささん、古事記執筆時代には、
 「菟(兎)神」 と云われてたんですって。           続く。

| | コメント (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »