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2010年8月22日 (日)

梅原猛さんの稻羽(因幡)之素菟読み 288

 この古事記伝説を梅原猛さんは若干45歳で独自の論を
 展開されました。
 時は1970年、70年安保闘争の年。
 この年、梅原猛さんは
 「大学紛争」 に伴い教授の職を辞しています。
 その年に出稿された 「蔭(かげ)の部分」 (すばる2号) の中で
 この稻羽(因幡)之素菟を取り上げています。
 但し、梅原猛さんはこれから紹介する説を
 「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社」 1981年9/23発行の
 自序で今はこの説に80% 「否定的な意見をもっている。」
 と記されていますのでその旨お願い致します。
 又、稻羽(因幡)之素菟を
   イナバノシロウサギと記されています。

 それでは、梅原猛さんイナバノシロウサギ読みへ。

 素菟の素 = 「裸」。
 淤岐嶋 = 「沖ノ島 (福岡県宗像市)」。
 菟神 = 宗像三神 ⇒ 道主貴(ちぬしのむち) ⇒ 宗像族
 海和迩 = 綿津見三神 ⇒ 志賀島 ⇒ 阿曇族
 和迩(ワニ) ≒ 船かも

 そして、ウサギの移動は
 「宗像族は、
   白村江の敗戦以来、沖ノ島を引き揚げる必要があった。
 もう中継基地は必要ない。ウロウロしていると唐の水軍が攻めてく
 るかもしれぬ。引き揚げるには、沢山の船が必要だ。阿曇に頼んで 
 船を準備する。
  そして引き揚げに成功したが、おそらくその謝礼のこ
 とで阿曇との間にトラブルがあったのだろう。」 (前出 p135)
 
 次に禊ぎ (梅原さんはミソギと) について
 綿津見三神 ⇒ 阿曇族 ⇒ 海水によるミソギ
 海水によるミソギ ⇒ 浴海鹽 (塩)
 宗像三神の内で大島(中津宮) ⇒ 宗像族 ⇒ 真水によるミソギ
 真水によるミソギ ⇒ 水洗 (天之眞名井)
 更に、大島(中津宮)は七夕伝説の発祥の地と。 (天安河)
 
 そして、ミソギ(禊ぎ)の違い件は 
 (禊ぎは裸で水浴び。ウサギが治癒したのは真水を浴びたから。)
 「阿曇的なミソギから、
    宗像的なミソギへ。そのミソギの変化の背後
  には、海洋国から農業国への日本国家の転身の歴史がある。
  海の神から陸の神へと、
  神自体が変わらねばならない歴史の必然がある。」 (前出 p136)

 と展開されました。
 梅原猛さんの基本的スタンスは
 「出雲地方」 を旧体制の神々の追放先としています。
 故に、稻羽之素菟 (兎) の稻羽を出雲の隣である因幡地方
 と考えません。
 従いまして、淤岐嶋 (おきのしま) を島根県の隠岐島とせず、
 北九州と対馬の間にある、沖ノ島として論を進められました。
 約10年後、彼はこの説を80%否定的にされましたが
 なかなか、味わいのある論理展開と思われませんか?
 素菟 (兎)さんを宗像族を考察。
 その宗像三神を祀る 「宗像大社」
 その宗像大社で現在も行われている秋の 「みあれ祭」。
 海上一面の舟・舟・舟。
 この上を兎さんがぴょんぴょん跳ねて北九州に上陸したと
 考える事はロマン溢れるのでは・・・・・。         
 (宗像大社H.P.のスライド6枚目と7枚目)          続く。

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