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2010年1月31日 (日)

常世長鳴鳥(鶏)のギャグ 259

 天照大御神奪還作戦の戦術企画を八百万の神々が
 委ねたのは高御産巣日神のご子息、思金神。
 思金神、
 前も話しましたがどうもお金のみ大好きでガリガリ猛者風の
 ネーミングで力が削がれますが、
 大勢の神々がご指名されたからには知識・知恵・決断力を
 兼ね備えていたのでしょう。
 ダンスショー作戦 ⇒ ミラー作戦 ⇒ ピケット作戦
 この3作戦は中々良い線をついています。
 しかし、集常世長鳴鳥 令鳴而
 この鶏鳴かせ作戦は如何なものかと・・・・・。
 太安万侶さんも思金神に気を使ったのか?
 思金神は
 鶏鳴狗盗→孟嘗君→史記、司馬遷を読んでいたよって事。
 因みに梅原猛さんは思金神を 「藤原不比等」 と措定しています。
 あのわたくしども ZIPANGU が大好きな清少納言さんは
 「夜をこめて鳥の空音ははかるとも
           世に逢坂の関はゆるさじ」 と
 鶏鳴をもっとオシャレに引用しています。
 殿方からのラブコールにさらりと受け流す彼女って素敵っ。
 気になるのは 「常世 (とこよ)」。
 とこよって何処 (どこ) よってなもの。
 常世は 「常世の国」 の略。
 確か、昔、むかし日本列島に漂着した方々が日本海ではなく
 太平洋を見渡される海原に立ち、この海の遙かかなたにあると
 想像を巡らせていた 「幻の国」 の筈。
 それ以前なら、とこよは常夜になり
 「姥国・黄泉の国」 になってしまい、「心の国」 に。
 そんな処から長鳴鳥 (鶏) を捕まえてくる時間なんか・・・。
 さらに、藤原京・平城京、古事記執筆時代なら、常世は
 道教チックな桃源郷 (不老不死の国) になっていたのですから
 どれをとっても不可能な発想。
 故に、この描写はとっても漫画っぽく奇想天外感が漂います。
 否、それともこの時代では
 メッッチャ・カッコイイー・ギャグだったやも。                   続く。

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2010年1月24日 (日)

還って来られた天照大御神 258

 天地が割れんばかりの大歓声に天照大御神さんは
 思わずドアを開けてしまいます。
 そのドアの隙間から彼女は状況・情況・情景を具にご覧になり、
 「何でっ。」 って天宇受賣命に問いただします。
 天宇受賣命
 「だってぇ 貴女より素敵な神さまがいらっしゃるのですもの。」
 とお答えします。
 その瞬時に天兒屋命と布刀玉命のお二人でぴっかぴかの鏡を
 天照大御神さんの前にセットしたのです。
 「鏡よ鏡よ鏡さん この世で一番美しい人はだあれ?」 攻撃には
 さすがの天照大御神さんでもちょいと動揺、思わず女性本能が。
 しかと確かめたい彼女はも少しドアを開ける事に。
 素敵なショーを見られず、一人寂しくドアの陰に押し隠れていた
 天手力男神 (あめのたぢからおのかみ) は
 この絶好の機を逃す筈がありません。
 彼は天照大御神さんに手を差しのべ、彼女の手を優しく包み、
 天の石 (岩) 屋からこちらの世に招き入れたのでした。
 「彼ってナンカ お産婆さんみたい?」
 更に、布刀玉命は天の石 (岩) 屋に
 標縄・注連縄 (しめなわ) でピケ (picket) を張り、
 「今後一切この線より奥に入らないで下さい。」
 とお願い申し上げたのでした。
 天照大御神さんが天の石 (岩) 屋からお出ましになった結果
 高天原及び葦原中國は再び明るくなった (得照明) とさ。
 目出度し、目出度し。

 ここで高天原及び葦原中國特設会場での
 「照明」についてちょいと。
 天照大御神さんが天の石 (岩) 屋に再生・甦生の為、
 巣ごもられた際、
 確か高天原・葦原中國は 「暗・闇」 になったのですよね。
 そして彼女が天の石 (岩) 屋から帰還された時、
 高天原・葦原中國は自ずと 「明」 るくなったのでした。
 現象とすると冬から春
 心象とすると暗から明
 太陽が燃え尽きない限り・地球が亡くならない限り
 自ずと 「春」 は来て下さいます。
 しかしながら心象が問題です。
 心に火をつけ燃えあがらせるもの。
 高天原及び葦原中國特設会場において、天宇受賣命への
 スポットライトは 「真っ赤に燃える篝火 (かがりび)」 だった筈。
 火を灯 (とも) さない限り心は春にはなりませんことよ。   続く。

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2010年1月17日 (日)

天宇受賣命のタップダンスショー257

 お誕生日おめでとうございます。
 何を隠さん今日はわたくしども ZIPANGU のあるスタッフの
 誕生日なのです。
 お誕生日にお友達を呼んでふじやのケーキ、
 或いは、ドンペリピンクで乾杯は単なる儀式に過ぎません。
 本来、当人は親御さんに感謝、親は子の生育振りを確認する日。
 とは云うもののわたくしどものスタッフは如何なものか?
 「云うは易し行いは難し」 は世の付きもの?

 しかし、儀式を済ました高天原及び葦原中國は
 天照大御神さんの奪還作戦の行動に突入するのです。
 古来より日本人は敵にイキナリ刃は突きつけません。
 敵 (相手) が自ら降参して下さるようにするのが常套手段。
 これが古来より相手を慮る日本文化の一つ。
 キリスト文化の 「右の頬を打たれたら左の頬もお出しなさい」。
 イスラム文化の 「撃たれたら撃ち返せ」。
 アメリカ文化の 「撃たれる前に撃ってしまえ」。
 確か、アメリカ文化は
 キリスト文化に含まれますので矛盾しますが・・・・・。
 日本文化の方法論は姑息に見えても血を流す分量が少ない筈。
 それはさて置き、天照大御神さんの奪還作戦とは
1 天宇受賣命 (あめのうずめのみこと) のダンスショー作戦
2 天兒屋命と布刀玉命による鏡よ鏡よ鏡さんのミラー作戦
3 布刀玉命の標縄・注連縄 (しめなわ) によるピケット作戦
 この3作戦により目出度く天照大御神さんは甦生されるのです。
 この内一番のハイライトは
 何と云っても、天宇受賣命のタップダンスショーに尽きます。
 この前戯がないと天照大御神さんは天の石(岩)屋戸からチラリと
 お顔を覗かせてくれません。
 彼女は石(岩)屋戸の外の何やら楽しげな歓声を訝り、
 ほんのちょいとドアを自らお開けになったのです。
 楽しげな歓声の訳は勿論、天宇受賣命さんのパフォーマンス。
 彼女は天香山之天之日影・天之眞拆・天香山之小竹葉
 (天香具山に繁っていた日影蔓・蔓正木・笹の葉) で装飾し、
 天の石(岩)屋戸を背景に、舞台セットの汚氣 (桶) 上で演技。
 桶を逆さにした急拵え?の舞台上 (桶の底) で
 フラメンコに勝る程、桶底を足で踏み鳴らしたのです。
 そのリズムはサンバ・ルンバ・タンゴ、或いは、三三七拍子の
 如何様かは知り得ませんが。
 嫌々、譬えが婆々臭・気味。
 時は神代ではなく2001/9 
 所は高天原及葦原中國からMadison Square Gardenへ
 天宇受賣命から舞蹴留寂尊命(MICHAEL JACKSON)
 樽上ダンスではなく
 MICHAEL JACKSON 30th
 anniversary CELEBRATION concert session
 ballade(仏)・soul・rap・rock music。
 ♪BEAT IT
 ♪BILLIE JEAN
 ♪YOU ROCK MY WORLD
 これでご納得いただけるかしら
 それでは
 舞蹴留寂尊命(MICHAEL JACKSON)を天宇受賣命にして、
 彼女自身、感極まり-酔いしれて (爲神懸)
 しまうのですから中々のポップリズムなのだと想像しちゃいます。
 エクスタシー状態の彼女は

 その前に、広辞苑ではエクスタシー (ecstasy) を
 (もとギリシア語 ekstasis (「外」と「立つ」の合成語)で魂が
  世界を超えてある状態)
1〔哲〕魂の脱離の意。人間が神と合一した忘我の神秘的状態。
  フィロン・新プラトン学派・中世神秘主義思想家の重要な概念。
  エクスタシス。
2 忘我。有頂天。恍惚。法悦。
 と味も素っ気もリズム感も無く説明しています。

 胸のはだ (開) け(掛出胸乳)や裳の帯が解けてしまい
 Vゾーンが露出 (裳緒忍垂於番登) しても何のお構いもなし。
 ランウェイ(run way)のマヌカンさん達の境地
 だったやも知れません。
 又、ミュージシャンやアクトレス・アクターさん達は
 この 「感じ。」 が欲しくて日夜励んでおられるのやも。
 
 一方、彼女のダンスをご覧になっていた方々は
 スタンディングオベーション (standing ovation) ・ヤンヤの喝采。
 高天原及葦原中國の特設会場は揺れ動く熱狂の嵐に。   続く。

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2010年1月10日 (日)

玉・鏡・御幣で着飾った賢木(榊) 256

 甦れ天照大御神のコーナーでは新しい神々が登場します。
 先ずは、高御産巣日神のご子息、思金神 (おもいかねのかみ)。
 彼は知恵者とされていますが、
 何やら、絵文字的にはお金のガリガリ猛者風。
 次に、鏡を作らせたら右の出る者がいない
 伊斯許理度賣命 (いしこりどめのみこと)。
 お次は装飾玉作り名人の玉祖命 (たまのやのみこと)。
 次なるは、この時代の政治家である占い師、
 天兒屋命 (あめのこやねのみこと) と
 布刀玉命 (ふとだまのみこと) が登場し天香山に生息している
 鹿の肩の骨を取り出し桜の木で焼いて占う事に (吉凶占い)。
 段取りが整うと、天香山に繁っている賢木 (=榊 さかき) を
 根こそぎ引っこ抜いてきて、榊にデコレーション。
 上の枝には煌びやかな装飾玉
 中の枝にはぴっかぴかの鏡
 下の枝には白と青の御幣 (ごへい) を垂れ流したのでした。
 装飾担当は布刀玉命。(御幣は紙・布製でひらひらしているもの)
 これでお飾りお供え物が準備されるといよいよ神事とされる
 「言祷」 (寿詞) の奉納。こちらの担当は天兒屋命
 儀式はこれでお仕舞い。
 寿詞 (よごと) は読んで字の如く目出度いお言葉。
 年頭に当たってのご挨拶、
 「新春を寿 (ことほ) ぎ謹んで初春のご挨拶を申し上げます。」
 感じの古式ゆかしいお祝い詞。
 一昔前、結婚式で謡われたと云われる
 「高砂や、この浦舟に帆を上げて・・・・・・・・・・・・・・・。」
 の祝言 (しゅうげん) とは全く異なりますのでご注意を。
 しかしながら、
 寿詞も祝言も 「神」 様 へのメッセージには違いがありません。
 事を興す際には必ず行わなければならない儀式・通り道。
 これを端折ってイキナリ攻めてはいけません事。
 「急 (せ) いては事をし損じる。」 ってネ。
 このフレーズには必ず天の邪鬼は切り返します。
 「急かなきゃものごと始まらず。」 って。
 さて、このへそ曲がりさんに対する貴方のお答えは???
 素敵なお返事を期待しています。
 それでは機も熟しましたので天照大御神さんの奪還作戦に。
                                                                続く。

追 寿詞 (よごと) について折口信夫 (しのぶ) さんは
  お祝い詞でないとされています。
     この件は何れの御時に紹介させて頂きます。

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2010年1月 3日 (日)

初春 天照大御神の甦生 255

 新春を寿ぎ、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 今年も皆様方におかれましては
 健やかにお過ごしになれますよう心よりお祈り致します。

 滔々と流れゆく時を切り刻む事により 「リニュアル」 する発想。
 故に 「新年」 「Happy New Year!」 「謹賀新年」 に。
 「還って来て、天照大御神さーん。」 と叫ばなくても
 ちゃーんと彼女は甦って下さるのです。

 因此而常夜往 
 於是萬神之聲者 狹蝿那須(此二字以音)皆滿 
 萬妖悉發 是以八百萬神 於天安之河原 
 神集集而(訓集云都度比)高御産巣日神之子思金神
 令思(訓金云加海尼)而 集常世長鳴鳥 令鳴而 
 取天安河之河上之天堅石 取天金山之鐵而
 求鍛人天津麻羅而(麻羅二字以音)
 科伊斯許理度賣命(自伊以六字以音) 令作
 科玉祖命 令作八尺勾○之五百津之御須麻流之
 召天兒屋命 布刀玉命(布刀二字以音 下效此)而
 内拔天香山之眞男鹿之肩拔而
 取天香山之天之波波迦(此二字以音木名)而
 令占合麻迦那波而(自麻下四字以音)
 天香山之五百津眞賢木
 根許士爾許士而(自許下五字以音)
 於上枝 取著八尺勾○之五百津之御須麻流之
 於中枝 取繋八尺(訓八尺云八阿多)
 於下枝 取垂白丹寸手青丹寸手而(訓垂云志殿)
 此種種物者 布刀玉命 布刀御幣登取持而 
 天兒屋命布刀詔戸言祷白而 
 天手力男神 隱立戸掖而 
 天宇受賣命 手次繋天香山之天之日影而 爲鬘天之眞拆而
 手草結天香山之小竹葉而(訓小竹云佐佐)
 於天之石屋戸伏汚氣(此二字以音)而
 蹈登杼呂許志(此五字以音)爲神懸而
 掛出胸乳 裳緒忍垂於番登也 
 爾高天原動而 八百萬神共咲
 於是天照大御神以爲怪 細開天石屋戸而内告者
 因吾隱坐而以爲天原自闇 亦葦原中國皆闇矣
 何由以天宇受賣者 爲樂 亦八百萬神諸咲
 爾天宇受賣 白言 益汝命而貴神坐故 
 歡喜咲樂 如此言之間 天兒屋命 布刀玉命指出其
 示奉天照大御神之時 天照大御神逾思奇而
 稍自戸出而 臨坐之時
 其所隱立之天手力男神 取其御手引出
 即布刀玉命 以尻久米(此二字以音)繩控度其御後方
 白言 從此以内不得還入 
 故天照大御神出坐之時
 高天原及葦原中國自得照明 

 今日は未だ、
 松の内ですので次回まで読み解きはお待ち下さいませ。
                                                                 続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P26の13行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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