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2009年12月27日 (日)

命倶楽部で子供手当てを 254

 弟思いの天照大御神は決して野暮ではございません。
 若いお二人同志が奏でる甘美な時空には
 仄かな明かりさえもお邪魔・無視・夢死・無私!!!。
 天照大御神も感極まって 「ドーン引き」 のお始末って具合。
 その時代の今時、大和 (奈良) 盆地を中心とした倭国、
 並びに北半球にお住まいの生きとし生けるもの全てにとって
 夜・闇・暗闇 (くらやみ) の冬至・雪・氷の世界
 冬至については二十四節気カレンダー・暦で。
 この状況って、翻って考えると、今日この頃、
 金融工学とやらを弄び、幼気なお金持ちになりたいと希う方々を
 上手く乗せグローバルサイズで世を暗くしてしまった金融資本家と
 何か全くおんなじ呈とお思いになりません事。
 いやいや (嫌々) 日本文化とキャピタリズムはそぐいません事。
 そんな無粋なことは止めましょう。
 この情景の古事記表現はメジャーで皆さんよくご存じな所です。

 故於是天照大御神見畏 
 閇天石屋戸而 
 刺許母理(此三字以音)坐也 
 爾高天原皆暗 葦原中國悉闇 

 天照大御神は畏 (かしこ) まれ、天の岩戸をお閉めになり
 再生・甦生・リニュアルする為、
 岩・いわお (巌) の中に、暫し、さし籠もられたのです。
 故に、高天原も葦原中國も真っ暗けっけ。
 これを、今年の7/22、奄美の島々で残念ながら
 お出ましにならなかった 「皆既日食」 現象とは
 わたくしども ZIPANGU は考えません。
  この奥深ーいドラマが4分~6分程度でクライマックスとは
 如何にもあっさりで色気もそっけもございません。
 せっかく、天照大御神さんがお気を使って下さった訳ですから
 お二人は十二分にエンジョイしないと・・・・・。
 もし天衣織女(テキスタイルデザイナー)の月の塩梅が宜しければ
 「凛(りん)」「さくら」
 「大翔(ひろと)」「翔太(しょうた)」 として
 十月十日でこの世にお出ましになられます。
 何だか、クラシックの香り漂う
 「花子」・「太郎」 感じがしないでもないですが・・・・・。
 今時の彼女・彼らは毎月お手当てを頂ける様になる筈ですから
 共働き (ダブルインカム) のお二人に取っては
 何の憂いも生じないと思います???
 只、注意点は公からの 「子供手当て」 振込名義を
 母親の天衣織女にした方がよさげと思う次第です。
 いやはや、それも余計なお節介やも。
 冬至来たりて 「巣籠もり (スゴモリ)」 季節、
 互いの絆を確かめ合う絶好のお日柄。
 どうかこの機会を決してお見逃し無きよう切に御願い奉ります。

 「白銀母 金母玉母 奈爾世爾
                 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母」
 「しろがねも こがねもたまも なにせむに
                   まされるたから こにしかめやも」
      万葉集 巻五 八〇三 山上憶良 (660~733?)
 
 既に、1300年以前、目減りしない?貴金属より
  「子様達」 が次世代を担ってくれる事が明々白々。
 命倶 楽部 (make love) 無しに子宝は得られません。
 この際、命の継承、命倶楽部に是非ともご加入下さいませ。
                                                               続く。
 ってな事で
 今年も一年ご愛顧頂きまして有難うございました。
 来る年も、乞うご期待。
 就中 (なかんずく)、何卒、宜しくお願い申し上げます。
                                        ZIPANGU スタッフ一同

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P26の9行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2009年12月20日 (日)

速須佐之男命の命倶楽部 253

 ここでファッションに関するくだり (件) が出現。
 
 天照大御神 坐忌服屋而 令織神御衣之時 

 天照大御神がお気に入りのデザイナーさんのアトリエでご自分の
 服の出来上がり具合を確認しているシーン (場面) です。
 ご注文服ですので、フランスではオートクチュール。
 このデザイナーさんはテキスタイルデザイナー。
 この時代?、ファッションの主要部分は布地でしたので
 彼女は当にクチュラーと云うことに。
 天衣ときたら言い伝えでは羽衣。
 羽衣ときたら天を翔ると云われる衣装。
 とってもファンタジーでセクシーな出来事。
 幻想を敢えて壊せば折口信夫 (しのぶ) さん風に
 天衣は禊ぎの際に着用するもの。
 しかしここでは、話の腰を折らないで続けます。
 (折口信夫 (1887~1953) 柳田國男を信奉した民俗・国文学者) 
 
 ところが、次にはちょいと悩ましげで不可思議な表現が・・・・・。
 
 穿其服屋之頂 逆剥天斑馬剥而 所墮人時
 天衣織女見驚而 於梭衝陰上而死(訓陰上云富登)

 この訳は梅原猛さんのお力をお借りします。
 「須佐之男命は、その機屋の天上に穴をあけて、
 そこから皮を剥いだ斑馬 (まだらうま) を落とし入れた。
 これを見て、着物を織っていた織女は驚いて、
 梭 (ひ) に女陰を突いて死んでしまった。」
 (神々の流竄 p392 梅原猛著作集8  集英社)
 こんな風に展開されています。
 
 斑馬は縞馬=シマウマ=ゼブラ (zebra) とされています。。
 梭=杼は緯糸 (よこいと) 通しの道具。
 織物 (布) は経糸 (たていと) と緯糸が織りなすアートです。
 杼の姿形 (すがたかたち) は長谷川杼製作所でご確認下さい。
 
 この時代の東南アジアに
 縞馬がターフを駆け回っていたと考えることはとても疑問です。
 暗喩としたら何かイメージ可能な 「もの」 があった筈。
 縞馬としたら縞柄 (ストライプ)、ゼブラとしたらゼブラ柄。
 太横ストライプはおいたした方の囚人服が元祖、
 ゼブラ柄はキャバクラお嬢さん達の必需品、
 どちらも自己主張がきつく何処にいても目立ちます。
 ストライプにつきましては、 「お江戸庶民の縞柄の着物」 で。
 それでは、いよいよ、
 わたくしども ZIPANGU の感性を駆使し読み解いてみます。
 十中八九、この天衣織女 (テキスタイルデザイナー) は
 すてきなお方だったと思うのです。
 そこで、やんちゃでお茶目で幼気な速須佐之男命は
 彼女と恋に陥る為、精一杯のパフォーマンスを繰り広げます。
 彼は日頃持ち合わせている横しまな心をかなぐり捨て、
 屋根ではなく、ドアを蹴破り、その勢いで彼女に迫ります。
 「僕は貴女が大好きっ」 って。
 概して、男性は才色兼備な女性には、いたく引き気味 (ドン引き)。
 故に彼女にとってはこのフレーズはとっても斬新な企画提案に。
 心揺らいだ彼女は性急な攻めに思わず陥落。
 彼は一直線に彼女と命倶楽部 (めいくらぶ)。
 この状況・情況を具 (つぶさ) にご覧になった天照大御神
 さすがにお二人のスイート空間から御身をお引きになるのです。
                      続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P26の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2009年12月13日 (日)

吉凶占いの結果は如何に 252

 速須佐之男命と天照大御神の吉凶占いは
 なな何と、各々のお子様の性別で決着をつけようとしたのです。
 神代より平安時代院政前までは表も裏も女性上位時代ですから
 女性を生み出した方が勝者 (吉) となった感じ。

 爾速須佐之男命 白于天照大御神 
 我心清明故 我所生之子得手弱女 
 因此言者 自我勝云而 

 手弱女は 「たおやめ」。
 たおやかでしなやかな女性って事。
 努々 (ゆめゆめ) よわいおんなではございません事よ。

 と云うことで速須佐之男命の潔白が証明される結果に。
 と云うよりも占いは所詮 「お遊び」 ですから
 お姉さんの天照大御神が弟の速須佐之男命に勝ちを譲った感じ。
 なんて女性って心が大らかなのかしら
 ところがどっこい、そんな事は露いささかも知らず
 ノー天気でやんちゃな速須佐之男命は図に乗り羽目を外します。

 於勝佐備(此二字以音)離
 天照大御神之營田之阿(此阿字以音)埋其溝
 亦其於聞看大嘗之殿 屎麻理(此二字以音)散 
 故雖然爲 天照大御神者 登賀米受而告
 如屎 醉而吐散登許曾(此三字以音)
 我那勢之命爲如此
 又離田之阿埋溝者
 地矣阿多良斯登許曾(自阿以下七字以音)
 我那勢之命爲如此登(此一字以音)詔
 雖直猶其惡態不止而 轉
 
 天照大御神の田圃の溝(畦)を埋めてしまい、
 大事な祭祀を執り行う部屋には排泄物をまき散らす始末。
 しかしながら、天照大御神は決して登賀米受 (咎めず)、
 ウンコの様に見えるのは
 ここの所の相継ぐ忘年会での飲み過ぎによるゲロゲロピー、
 畦を埋めたのは
 アメリカ型の大農地・農場政策推進、と
 子供騙しの口上で弟の速須佐之男命を庇うのです。
 一方、弟はお姉さんの 「表」 向きの言葉と
 我那勢之命爲如此登 (わたしのかわゆい弟がやった事) だから
 と云う微妙なイントネーションの違いが理解できない始末。
 「裏 (いい加減にしなさいよ。)」 を読めない彼の悪戯は
 更に過激度を増す事態になったとの事です。
 とは云うもののわたくし共もご多分に漏れず、 
 リーマン・ドバイショック年忘れ会の連日連夜でお疲れ気味・・・。 
                       続く。
                                                        
 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P25の11行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。 

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2009年12月 6日 (日)

天照大御神は玉の五男 251

 天照大御神の物實<ものざね=物実=物種(ものだね)>
 からお出ましになった5男神の内、 次男坊、
 天之菩卑能命 (あめのほひのみこと) の末裔が語られています。

 故此後所生五柱子之中
 天菩比命之子 建比良鳥命 此
 出雲國造 (いづも)
 无邪志國造 (むざし)
 上菟上國造 (かみつうなかみ)
 下菟上國造 (しもつうなかみ)
 伊自牟國造 (いじむ)
 津嶋縣直 (つしま)
 遠江國造等之祖也 (とほつあはうみ=とおとうみ)

 出雲・武蔵・上総・下総・上総夷隅郡・対馬・遠江、
 大和国を中心としてかなり辺鄙な所。
 (革命は辺境の地からとか???)
 国造 (くにのみやっこ=国の御奴) はその地方のリーダー。
 次に、三男坊、天津日子根命 (あまつひこねのみこと) の末裔。

 次天津日子根命者
 凡川内國造
 額田部湯坐連
 <茨>木國造
 倭田中直
 山代國造
 馬來田國造
 道尻岐閇國造
 周芳國造
 倭淹知造
 高市縣主
 蒲生稻寸
 三技部造等之祖也

 河内 額田部湯坐連 茨木 紀伊 大和 山背 馬来田?
 道尻岐閇? 周防 倭淹知? 大和高市郡 近江蒲生郡
 三技部? ?は古事記研究者にお任せ。
 周防以外は大和国の近隣っぽい感じっ。
 額田部湯坐連は額田・部・湯坐・連(ぬかた・べ・ゆえ・(の)むらじ)
 となる筈です。
 額田は何れかの地名 (大和国平群郡額田郷?)、部はグループ。
 湯坐 (ゆえ) は高貴な方の入浴関連に携わった人、
 連は昔の姓 (かばね) の一つ。
 額田部湯坐連の職能が一際異彩を放っています。
 額田 (ぬかた) と云えば、額田王の詠める詩一首、
 「ニギタツニ フナノリセント ツキマテバ
              シオモカナイヌ イマハコギイデナ」
 万葉集 (万葉仮名) では
 「熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜」
 世の解釈は置いときます。
 皆さんよーくご存じの通り、額田王は (素敵な) 女性です。
 もし、彼女が船を男性とメタファーしていたなら
 女性がリードする・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・部分がお解りの方はとってもス・テ・キ。
 女性上位の時代だったのです。(現在と同じ?)    続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P25の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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