« 須佐之男命の落とし種 宗像三女神 250 | トップページ | 吉凶占いの結果は如何に 252 »

2009年12月 6日 (日)

天照大御神は玉の五男 251

 天照大御神の物實<ものざね=物実=物種(ものだね)>
 からお出ましになった5男神の内、 次男坊、
 天之菩卑能命 (あめのほひのみこと) の末裔が語られています。

 故此後所生五柱子之中
 天菩比命之子 建比良鳥命 此
 出雲國造 (いづも)
 无邪志國造 (むざし)
 上菟上國造 (かみつうなかみ)
 下菟上國造 (しもつうなかみ)
 伊自牟國造 (いじむ)
 津嶋縣直 (つしま)
 遠江國造等之祖也 (とほつあはうみ=とおとうみ)

 出雲・武蔵・上総・下総・上総夷隅郡・対馬・遠江、
 大和国を中心としてかなり辺鄙な所。
 (革命は辺境の地からとか???)
 国造 (くにのみやっこ=国の御奴) はその地方のリーダー。
 次に、三男坊、天津日子根命 (あまつひこねのみこと) の末裔。

 次天津日子根命者
 凡川内國造
 額田部湯坐連
 <茨>木國造
 倭田中直
 山代國造
 馬來田國造
 道尻岐閇國造
 周芳國造
 倭淹知造
 高市縣主
 蒲生稻寸
 三技部造等之祖也

 河内 額田部湯坐連 茨木 紀伊 大和 山背 馬来田?
 道尻岐閇? 周防 倭淹知? 大和高市郡 近江蒲生郡
 三技部? ?は古事記研究者にお任せ。
 周防以外は大和国の近隣っぽい感じっ。
 額田部湯坐連は額田・部・湯坐・連(ぬかた・べ・ゆえ・(の)むらじ)
 となる筈です。
 額田は何れかの地名 (大和国平群郡額田郷?)、部はグループ。
 湯坐 (ゆえ) は高貴な方の入浴関連に携わった人、
 連は昔の姓 (かばね) の一つ。
 額田部湯坐連の職能が一際異彩を放っています。
 額田 (ぬかた) と云えば、額田王の詠める詩一首、
 「ニギタツニ フナノリセント ツキマテバ
              シオモカナイヌ イマハコギイデナ」
 万葉集 (万葉仮名) では
 「熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜」
 世の解釈は置いときます。
 皆さんよーくご存じの通り、額田王は (素敵な) 女性です。
 もし、彼女が船を男性とメタファーしていたなら
 女性がリードする・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・部分がお解りの方はとってもス・テ・キ。
 女性上位の時代だったのです。(現在と同じ?)    続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P25の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

|

« 須佐之男命の落とし種 宗像三女神 250 | トップページ | 吉凶占いの結果は如何に 252 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 須佐之男命の落とし種 宗像三女神 250 | トップページ | 吉凶占いの結果は如何に 252 »