母を慕う建速須佐之男命 246
何故か、古事記作者、稗田阿礼は
月讀命の説明をここでは展開致しません。
敢えて展開しなかったのは彼が長兄で父親の命令に
忠実に従った凡庸なお方だったやも知れません。
その点、弟の速須佐之男命は兄とは全く大違い。
長期間に渡り、彼は駄々っ子の如く泣き続けたと記されています。
八拳須至于心前
啼伊佐知伎也(自伊下四字以音 下效此)
其泣状者
青山如枯山泣枯
河海者悉泣乾
是以惡神之音
如狹蝿皆滿
萬物之妖悉發
彼の 「泣き」 に依り、
緑繁る山々の樹木は枯れてしまい
とうとうと流れる河や海の水は涙となって乾いてします程
この為、悪い事の音調が満ちあふれ
ありとあらゆるおよずれ (妖) 言が世に蔓延 (はびこ) った。
とは云うものの世を惑わす偽り事 (妖言) は
何時の世にも存在するのは当たり前。
取り分けどうのこうのも大人げないと思いますが・・・・・。
次で伊邪那岐命は伊邪那岐大御神と表現を変えられます。
お嬢さんが天照大御神だからかしらん。
故伊邪那岐大御神
詔速須佐之男命 何由以汝
不治所事依之國而 哭伊佐知流
爾答白 僕者欲罷妣國根之堅州國故哭
父の伊邪那岐大御神は息子の速須佐之男命に泣きの訳を
問いただします。
(父の命を聞かない為に 「建」 の形容詞が省かれている。)
その問いに対する速須佐之男命の答えは
「お母さんに逢いに行きたい。」
とっても素朴で素直なもの云ではありませんか。
とは云うものの、「僕者 欲罷 妣國根之堅州國」 の表現。
I want to go 迄は良いとして、妣國根之堅州國の解釈。
概して、歴代の古事記研究者は、
妣國根之堅州國を亡くなった母が眠っている黄泉国と規定。
妣は当用漢字ではありませんが、亡き母の意。
根之堅州國については色んな解釈 (後理屈) が・・・。
太安万侶が妣國黄泉国と記述して下されば
何も問題が生じなかったのですが、根之堅州國と敢えて変容。
ホントの所は稗田阿礼さんに聞いてみないと・・・・・、
何れにせよ、
(困った時) 「母に逢いたい」 は
わたくし達日本人の心に抱き続けている最後の綱。
「泣いてくれるなお母さん。」 は存在しても
「怒ってくれるなお父さん。」 のフレーズはありません。
ましてや、乳に合いたいはあっても?父に会いたいは・・・。 続く。
web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P21の6行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。
追 本日は偶々、第140回 天皇賞(秋)(GI)
又々、男の中の男、
横山典弘騎手 (ノリチャマ) がやってくれました。
彼の勝利騎手インタビユー
「馬を大事にしていれば、(何時か) 答えてくれる。」
何と死語を復活してくれました。
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