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2009年11月 1日 (日)

母を慕う建速須佐之男命 246

 何故か、古事記作者、稗田阿礼は
 月讀命の説明をここでは展開致しません。
 敢えて展開しなかったのは彼が長兄で父親の命令に
 忠実に従った凡庸なお方だったやも知れません。
 その点、弟の速須佐之男命は兄とは全く大違い。
 長期間に渡り、彼は駄々っ子の如く泣き続けたと記されています。
 
 八拳須至于心前 
 啼伊佐知伎也(自伊下四字以音 下效此)
 其泣状者
 青山如枯山泣枯
 河海者悉泣乾
 是以惡神之音
 如狹蝿皆滿
 萬物之妖悉發 

 彼の 「泣き」 に依り、
 緑繁る山々の樹木は枯れてしまい
 とうとうと流れる河や海の水は涙となって乾いてします程
 この為、悪い事の音調が満ちあふれ
 ありとあらゆるおよずれ (妖) 言が世に蔓延 (はびこ) った。
 
 とは云うものの世を惑わす偽り事 (妖言) は
 何時の世にも存在するのは当たり前。
 取り分けどうのこうのも大人げないと思いますが・・・・・。
 次で伊邪那岐命は伊邪那岐大御神と表現を変えられます。
 お嬢さんが天照大御神だからかしらん。
 
 故伊邪那岐大御神
 詔速須佐之男命 何由以汝 
 不治所事依之國而 哭伊佐知流 
 爾答白 僕者欲罷妣國根之堅州國故哭 

 父の伊邪那岐大御神は息子の速須佐之男命に泣きの訳を
 問いただします。
 (父の命を聞かない為に 「建」 の形容詞が省かれている。)
 その問いに対する速須佐之男命の答えは
 「お母さんに逢いに行きたい。」
 とっても素朴で素直なもの云ではありませんか。
 とは云うものの、「僕者 欲罷 妣國根之堅州國」 の表現。
 I want to go 迄は良いとして、妣國根之堅州國の解釈。
 概して、歴代の古事記研究者は、
 妣國根之堅州國を亡くなった母が眠っている黄泉国と規定。
 妣は当用漢字ではありませんが、亡き母の意。
 根之堅州國については色んな解釈 (後理屈) が・・・。
 太安万侶が妣國黄泉国と記述して下されば
 何も問題が生じなかったのですが、根之堅州國と敢えて変容。
 ホントの所は稗田阿礼さんに聞いてみないと・・・・・、
 何れにせよ、
 (困った時) 「母に逢いたい」 は
 わたくし達日本人の心に抱き続けている最後の綱。
 「泣いてくれるなお母さん。」 は存在しても
 「怒ってくれるなお父さん。」 のフレーズはありません。
 ましてや、乳に合いたいはあっても?父に会いたいは・・・。 続く。

  web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記上巻P21の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

追 本日は偶々、第140回 天皇賞(秋)(GI)
     又々、男の中の男、
     横山典弘騎手 (ノリチャマ) がやってくれました。
     彼の勝利騎手インタビユー
     「馬を大事にしていれば、(何時か) 答えてくれる。」
     何と死語を復活してくれました。

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