日本の神々・仲良しペアー神 225
宇比地邇神と須比智邇神
角杙神と活杙神
意富斗能地神と大斗乃弁神
於母陀流神と阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神と伊邪那美神 (いざなぎといざなみのみこと)
上記の神々は男女ペアーの仲良し神様達。
この漢字絵文字と和言葉を解きほぐすときっと以て、
男女のみんなが大好きで 「いやらし?」 系になるのでは・・・・・。
と云うよりも 「古事記」 地体が 「秘本」 であった・・・・・?
因みにペアー最後の伊邪那岐神と伊邪那美神は
ふかふかベットかお布団で
「イザッ、ワタシノオオキクナッタワクシヲ」
「イザッ、ワタシノエニモカケナイウツクシドコロヘ」ってな具合に。
カマトトでないワ・タ・シも思わず顔を赤らめたりは しないか?
一昔前の 「立前」 では (「本音」 は別として)、
なかんずく、紳士淑女は決して・けっして使用不可のお言葉?
立前・・・表向きの振る舞い方針・原則。
本音・・・常に思っている本心を思わず言葉にしてしまう事。
この立前・本音がピュアーな皆さんに大人って
「嘘つき」 「汚い」 「狡い」 と云われる源泉なのです。
明治以後の近代合理・功利主義思想の導入により、
人間の最小単位の仲良しペアー男女が崩壊し、
個々人の利得追求にのみに走る続けさせられる世の中ですので
大東亜戦後用語の立前・本音が闊歩するのもしょうがない・・・・・。
「だって、しょう(仕様)がないじゃない。」 よくある嫌なお話。
ガり(生姜)がなかったらお鮨のネタを変えらえないゾ チュウーノ。
更に 「ホンネ」 は進化して、
日本バブル崩壊=カジュアル化=普段着の日常化以降
「心 (気持ち) を言葉に出さない事」 になっている始末・・・。
しかしながら、古事記のできあがった時空間では
当然、男女一対で始めてワンペアーですので
全くの事、「生・性・正」 に関してもとってもおおらかだったのです。
同時代 「万葉集の相聞歌 (ラブ・love交換メール)」 の
今時に比べれば大胆で繊細なラブメッセージの遣り取りは
ちょーメチャイケ若者も目を白黒させて仕舞うこと請・け・合・い。
そんなこんなで、
とうとう 「秘め事」 を文字にしてしまいました勢いで、
次回は伊邪那岐神と伊邪那美神の超大胆なお話。 続く。
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