神話、古事記を紐解くと 223
人間が3名以上の時空で嫌でも必ず発生するセクト化とD.S.化。
セクト化は仲間同士 (党派)。
D.S.化は支配者側 (Dominant) と被支配者側 (Submission)
決してはやり (流行) の携帯ゲーム機じゃーございません。
D.S.が高じてS.M.までは行かないまでも似たり寄ったり?
語るまでもなく、
日本列島人 (日本人) 誕生の後にも起こった出来事。
この現象を712年に撰上された
「古事記」 を土台にして触れてみます。
710年に都が大和 (やまと) の国、奈良に遷され (平城京遷都)
時は奈良時代、その初期に記され、
今の世でも確認可能な日本で一番古い書物とされています。
その時、日本のリーダーは 「元明 (げんめい) 女帝」。
彼女は天智帝のお嬢さんで (661~721) (在位707~715)、
前の男帝 (文武帝) と後の女帝 (元正天皇) のお母さん。
持統女帝 (645~702) (在位690~697) とは母違いの姉妹。
712年はお隣中国 (唐)、道教で触れた玄宗皇帝が即位した年。
(685~762) (在位712~756)
又、ユーラシア大陸の西の果てでは西ゴート王国 (ゲルマン系)
がイスラム軍団 (アラブ系) に敗れた頃合い(711年)。
この時、元明天皇はおんとし、数えで52歳。
ご子息の文武天皇 (683~707) (在位697~707) を亡くされた
悲しみを乗り越え、酸いも甘いも幾度も経験された気丈な女帝。
彼女を後ろ?で支えた方が、中臣鎌足の次男で、
これ以後藤原千年時代の礎を作った
藤原不比等さん (659~720)。
古事記は昨今、若者の嫌いな?漢字で記されていますので
読みにくいかと思いきや、とんでもございません事。
720年発刊の日本書紀は 「漢文」 ですが、
何と古事記は漢字使用の 「和文」 なのです。
「なーんだ、ヤッパ、漢字でかかれているジャン」 とは・・・。
それでは古事記をちょっと紐解いてみましょう。
古事記上巻 并序
臣安萬侶言。 萬 (万)
夫混元既凝。
氣象未效。 氣 (気) ・效 (効)
無名無爲。 爲 (為)
誰知其形。
然乾坤初分。
<()内は現在の漢字>
「臣 安麻侶 (しん やすまろ) が申し上げます<言>。
混沌とした世界のはじめ<元>は既に凝り固まりましたが、
万物を形成する生命とその活動<気象>は
未だ現<効>れませんでした。
その状態はちょうど老荘のいうように、無名無為の状態であり、
誰もその形を知ることができませんでした。
しか<然>しながら、やがて天<乾>と地<坤>が分かれ、」
(神々の流竄 梅原猛著作集 8 集英社 P373 漢字等を編集)
誰知其形 のみ S.V.O. で漢文形式です。
梅原猛さんはこれを大意を汲み否定形で訳しています。
直訳の漢文なら 誰不知其形 になる筈です。
ってな感じ (漢字) でナニゲニ感性が豊かなお方なら
読めちゃいませんかしらん? 続く。
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