楊貴妃の美貌は茘枝のお陰218
素敵な日々・年月は悲しきかな未来永劫に続きません。
故に素敵な時空間は精一杯過ごさないと・・・・・。
玄宗皇帝よりかなり年下の武恵妃さんは運悪く病で亡くなります。
それは、それは、玄宗皇帝はショック (shock)。
しかしながら、
玄宗皇帝にとって十分すぎる程ステキな時空だった筈ですが、
如何せん素敵な時空間はそうそう忘れられないもの?
ここら辺が男性のウジウジ気質で弱いところ。
女性はいとも簡単に?ケロリさんですよーとっ。
それはさておき、
玄宗皇帝はワガママにも 「夢よ再び。」 をお求めになったのです。
取り巻きの方々はご褒美ほしさに夢再びを探しに捜します。
やっぱりご褒美の力は強いもの。
武恵妃さんが亡くなって3年 (740年) 後、
都、長安近くのリゾート地で合コンではなく決め打ちコン。
そのお方が夫有りでその時代のナイスバディーの楊玉環さん、
後の楊貴妃 (719~756) さんなのです。
因みに、この時、玄宗皇帝のお年は数えで56歳、
楊玉環さんは妙齢な22歳。
その楊玉環さんは夫持ち。
それがなな何と、彼女のハズは
武恵妃さんと玄宗皇帝の愛の結晶、ご子息である寿王くん。
寿王くんはス・テ・キな玉環さんを取り上げられる事になり
堪ったものでありませんよネ。
しかし、男性力が違い過ぎ、寿王くんは彼女を失う運命に。
若い二人の愛は限りなく、権力・金力に引き裂かれるのです。
玉環さんは一時ショックを受けたとは思いますが、
立ち直りが早いのが女の さが (性)。
ちょいとおじ様?過ぎますが、何と云ってもお相手は時の皇帝。
言い寄られて悪い気持ちになる訳が・・・・・。
それ故、恋のゲームの行方は楊玉環さんが握る事に。
まんまと5年後 (745年) に彼女は 「楊貴妃」 と云う、
后に次ぐ貴妃のスタンスをゲットします。 (実質は№1)
この時、玄宗皇帝は数えで64歳、楊貴妃は27歳。
いかなピチピチ・もちもち美肌の持ち主、楊貴妃でも
25歳を過ぎてはお肌の曲がり角。
自然の老化現象には叶いません。
この老化速度を遅らせたのが
「れいし (茘枝) 」 と云われています。
茘枝はライチーの事。中国南部原産の果物。
以前、食した事がありますが、それ程美味しいものとは・・・。
しかしこの時代、稀少でジューシで品がある果物だった感じ。
玄宗皇帝は彼女の美貌を保つ為、現地に馬を走らせる日々。
楊貴妃ご自身も当然、美しさの保持を願う毎日?
それとも彼女はライチーが大好きなだけだったかも。
何時の世も 「美容と健康に」 のフレーズにいたく弱いのが女性。
楊貴妃は茘枝を食して、麗姿 (れいし) を持続できたとの事に。
続く。
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