玄宗皇帝の元気は霊芝のお陰217
始皇帝の時代から下る事約1000年、お隣中国は唐王朝時代。
唐王朝が絶頂を迎え衰退の道を歩み始める時。
(この云い方はあくまでも結果論ですが・・・。)
その時代のリーダーは6代目の玄宗皇帝。
(685~762) (在位712~756)
彼はとりわけ道教の発想を好み自ら道士になったくらいです。
その道教は遡る事300年前くらい、北魏時代において
民間自然思想が色濃かった道教を
寇謙之 (363~448) が仏教軍団組織に習い組織化し
宗教教団化を図り、何と北魏の 「国教」 にまでなる始末。
中国統一王朝、後漢 (25~220) 以後、
次の統一王朝、隋 ((581) 589~619) も道教を国教に。
隋王朝を引き継いだ李淵 (565~635) (在位618~626) は
唐王朝 (618~907) を築き上げ
仏教よりも道教をより重んじる事になるのです。
道教・道家の基本的な発想は 「自然の趣き」 に逆らわない事。
諸子百家の方々でこの考え方を最初に唱えた方は 「老子」。
老子は春秋時代 (B.C.722~B.C.481) の
紀元前五世紀にこの世にいらした方とされています。
その老子さんの本名は李耳との事。
唐の国の始祖、李淵は李に目を付け
なな何と、老子を彼らのご先祖様に祭り上げたのです。
故に儒教・仏教・道教・・・・、数多ある物の考え方軍団のTOPを
引く事のなったのです。
当然、玄宗皇帝の本名は李 隆基で李さんです。
彼は、世の自然の成り行きに任せ、なすがままに道士の道に。
いつも元気が道士の道?ってな訳で、
その時代に霊験あらたかで脚光を浴びていた、きのこ感じの
「霊芝 (れいし)」 と云う瑞草を玄宗皇帝は食しておられたみたい。
そう云えば先月、連覇を成し遂げた 「侍JAPAN軍団」 武士の
お一人が凱旋たらい回しインタビューで暴露していました。
『あの (仙人風な) 「イチロー」 さんは試合開始一時間前に
ユ○ケル皇帝液をお飲みになっていらっしゃいました。
彼もフツウの人間 ・ ・ ・ ・ ・ 』 って。
イチローさんも戦勝現地でのコメントで
「神が下りてきました。 ・・・・・・・・・・・・・ご馳走様っ」 て
あの仙人風体のイチローさんでも 「神」 と云う詞を・・・。
ちっちゃな時からご努力なさっているイチローさんでも
イザという時には神のご加護 (自己幻想) が必要なのです。
ところで、霊芝で元気な玄宗皇帝に戻ります。
彼がお付き合いされた数々の女性の中で
特にお二人の女性が一際波長が合った感じです。
最初のお方は武恵妃さん。(?~737?)
女性に対する美的感覚は現在と異なり、
この時代ぽっちゃり顔・豊満なナイスボディー?が
極上美人だった感ですので、彼女も多分その様な・・・・・。
玄宗皇帝にとってお付き合い当初、
彼女はジャネレーションギャップが生じない若くてピチピチギャル?
玄宗皇帝はいたく武恵妃さんを慈しみます。
彼女が亡くなるまで玄宗皇帝の心をくすぐり続けたのですから
武恵妃さんのミリキ (魅力) はそれはそれは・・・・・。
玄宗皇帝の正妻が亡くなって (724年) 後に皇后に準じる恵妃の
立場を与えられたとなっていますのでとても長ーいお付き合い。
玄宗皇帝は685年生まれですから数えで53歳まで彼女の虜に。
霊芝のお力は凄いものが有った感じ・・・。 因みに、
彼と彼女の 「愛」 で7人のお子様がこの世に送り出される事に。
続く。
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