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2009年4月12日 (日)

玄宗皇帝の元気は霊芝のお陰217

 始皇帝の時代から下る事約1000年、お隣中国は唐王朝時代。
 唐王朝が絶頂を迎え衰退の道を歩み始める時。
 (この云い方はあくまでも結果論ですが・・・。)
 その時代のリーダーは6代目の玄宗皇帝。
 (685~762) (在位712~756)
 彼はとりわけ道教の発想を好み自ら道士になったくらいです。
 その道教は遡る事300年前くらい、北魏時代において
 民間自然思想が色濃かった道教を
 寇謙之 (363~448) が仏教軍団組織に習い組織化し
 宗教教団化を図り、何と北魏の 「国教」 にまでなる始末。
 中国統一王朝、後漢 (25~220) 以後、
 次の統一王朝、隋  ((581) 589~619) も道教を国教に。
 隋王朝を引き継いだ李淵 (565~635) (在位618~626) は
 唐王朝 (618~907) を築き上げ
 仏教よりも道教をより重んじる事になるのです。
 道教・道家の基本的な発想は 「自然の趣き」 に逆らわない事。
 諸子百家の方々でこの考え方を最初に唱えた方は 「老子」。
 老子は春秋時代 (B.C.722~B.C.481) の
 紀元前五世紀にこの世にいらした方とされています。
 その老子さんの本名は李耳との事。
 唐の国の始祖、李淵は李に目を付け
 なな何と、老子を彼らのご先祖様に祭り上げたのです。
 故に儒教・仏教・道教・・・・、数多ある物の考え方軍団のTOPを
 引く事のなったのです。
 当然、玄宗皇帝の本名は李 隆基で李さんです。
 彼は、世の自然の成り行きに任せ、なすがままに道士の道に。
 いつも元気が道士の道?ってな訳で、
 その時代に霊験あらたかで脚光を浴びていた、きのこ感じの
 「霊芝 (れいし)」 と云う瑞草を玄宗皇帝は食しておられたみたい。
 そう云えば先月、連覇を成し遂げた 「侍JAPAN軍団」 武士の
 お一人が凱旋たらい回しインタビューで暴露していました。
 『あの (仙人風な)  「イチロー」 さんは試合開始一時間前に
  ユ○ケル皇帝液をお飲みになっていらっしゃいました。
  彼もフツウの人間 ・ ・ ・ ・ ・ 』 って。
 イチローさんも戦勝現地でのコメントで
 「神が下りてきました。 ・・・・・・・・・・・・・ご馳走様っ」 て
 あの仙人風体のイチローさんでも 「神」 と云う詞を・・・。
 ちっちゃな時からご努力なさっているイチローさんでも
 イザという時には神のご加護 (自己幻想) が必要なのです。
 ところで、霊芝で元気な玄宗皇帝に戻ります。
 彼がお付き合いされた数々の女性の中で
 特にお二人の女性が一際波長が合った感じです。
 最初のお方は武恵妃さん。(?~737?)
 女性に対する美的感覚は現在と異なり、
 この時代ぽっちゃり顔・豊満なナイスボディー?が
 極上美人だった感ですので、彼女も多分その様な・・・・・。
 玄宗皇帝にとってお付き合い当初、
 彼女はジャネレーションギャップが生じない若くてピチピチギャル?
 玄宗皇帝はいたく武恵妃さんを慈しみます。
 彼女が亡くなるまで玄宗皇帝の心をくすぐり続けたのですから
 武恵妃さんのミリキ (魅力) はそれはそれは・・・・・。
 玄宗皇帝の正妻が亡くなって (724年) 後に皇后に準じる恵妃の
 立場を与えられたとなっていますのでとても長ーいお付き合い。
 玄宗皇帝は685年生まれですから数えで53歳まで彼女の虜に。
 霊芝のお力は凄いものが有った感じ・・・。 因みに、
 彼と彼女の 「愛」 で7人のお子様がこの世に送り出される事に。
                                                                続く。

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