道教・神仙思想・亀仙人・廬生 214
一昨日は春分の日でお彼岸の中日。
お彼岸中、お年をめされた方々はお墓参りの日。
そのお墓に入る事を拒み続ける努力と無謀な抵抗をしたのが
道教の神仙思想。
道教の最終目標は 「仙人」 になろうとする事。
仙は人偏に山ですから人里離れた山に住む人になります。
広辞苑では仙人の事を
「道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避け
て、不老・不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。」
と説明されています。
山に引きこもり人との接点を断ち、炭水化物を摂取せず、
生命細胞の増殖・死滅をコントロールできる修行をし、
姿形を変幻自在にメタモルフォーゼ (独Metamorphose) 可能な
手だてを持っている方が仙人と云う事になります。
身近ではドラゴンボール (龍玉) の 「亀仙人 (武天老師)」。
彼は、悟空とクリ (栗) リンのお師匠さん。
又、彼の得意技は 「かめ(亀) はめ(嵌め) 波(ハ)ー」。
亀仙人の出で立ちは、「老人」「白くて長い髭」「頭がくねった杖」、
そして何故か 「サングラス」、性格は極めて 「セクハラ女性好き」。
山水画の仙人ぽいイメージは、やはり年老いたお爺さん。
どうも仙人のイメージに女性はそぐはない感じ。
仙人さんは初老を迎えた男性特有の願望なのかも知れません。
何時までも 「若くいたい」 と云う事は女性も全く同じ。
「外見のみに留まるなら大枚費消でエステに通えば何とか・・・。」
と考えるのは女性の大多数の気持ち?
とお思いになるのは十中八九、男性の論理展開に過ぎません。
不思議な事に殿方は幾つになっても 「若い女性」 に興味が?
その事はさておき、この仙人への指向性は
古代中国を統一したと云われる
秦の始皇帝と
唐時代、息子のお嫁さんだった楊貴妃をこよなく愛した
玄宗皇帝のお二人は特に強かったと喧伝されています。
当然、彼らは 「権力・富・名誉」 をゲット済みです。
始皇帝 (B.C.259~B.C.210) はエンペラー(emperor)の創始者。
彼はB.C.221年に中国を統一としたと云われています。
その時のおん年は39歳。(数えで)
50年間この世に存在しましたのでこの時代では至ってノーマル?
現在日本では80歳位が寿命で50歳位で老年に突入感覚ですので
統一した際、
始皇帝は既に体力・気力が落ち始めたていたのかも?
「権力・富・名誉」 を獲得していますので残る望みは一つ?
3点セットを維持し続ける事です。
具体的には顎で人様を動かし、美味しいものを侍らせ、食する事。
その前提として
エネルギッシュな体力と気力が常に漲っていなければなりません。
そこから生理・物理原則を否定した 「不老不死」 願望が生じます。
何時の世も 「富のお零れ」 に預かろうとする輩は存在します。
手っ取り早いのは、
彼の儚い願望 (欲望) に言葉を以て幻想を抱かさせる事。
それを画策したのが、「仙人」 修行をしていた事になっていた
「方士・道士」 さん達。
このくだり (件) が史記の秦始皇本紀に登場しています。
「廬生説始皇曰、臣等求芝・奇薬・仙者常弗遇。類物有害之者。
方中、人主時為微行以辟悪鬼。悪鬼辟、真人至。
人主所居而人臣知之、則害於神。真人者、入水不濡、
入火不熱(上に草冠)、陵雲気、与天地久長。今上治天下、
未能恬淡、願上所居宮、毋令人知。然后不死之薬殆可得也。」
この和訳として、
『方士の廬生(ろせい)が、始皇に奏上した。
「わたくしどもは今日まで、食すれば神仙となる霊草、不老長寿の
奇薬、それに仙人、この三つを捜し求めて手をつくしましたが、
どうしても見つかりません。おそらく、なにかの祟りがあるのだと
思われます。
仙人の方術に”人主はつねに微行して悪鬼を避けよ。
悪鬼を避ければ真人(しんじん)となることができる”とあります
ように、人主の居所を臣下に神気のさまたげとなります。そもそも
真人とは、無心そのものの存在で、水に濡れず火にも焼けず、
雲とともにただよって天地のあるかぎり生きつづけるのです。
いま陛下は天下を足もとに見ておいでですが、すべてを超越した
無心の境地にはまだほど遠いと申さねばなりません。されば、
せめて陛下の所在を人に知られぬようお努めください。
それが達成されれば、
不老長寿の薬もおのずと手にはいりましょう。」』
(司馬遷 史記Ⅱ 乱世の群像 奥平卓・守屋洋 徳間書店 p306~)
続く。
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