八卦後天図 丑寅の隅の段 210
八卦後天図
艮=丑寅=北東=鬼門 説の主な理屈付けは
1 前回紹介の漢民族にとっての北東騎馬民族軍団の存在
2 住居を前提とすると日当たりが悪い部屋
3 陰陽五行説による 「相剋」 にあたる事
とされています。
この相剋は 「木・火・土・金・水」 の遠距離恋愛関係とされ、
艮=丑寅 水・土・木 と配当、
「土は水に勝(克)ち」 (土は水をせき止め、土は水を吸収する。)
「木は土に勝(克)つ」 (木は土に根を張り伸びる。)
と云う、へんてこりんな、へ理屈。
班固 (はんこ) (32~92) さんの論により四季の五行配当を
クリアーした筈なのに
八卦論では8の中に5を無理矢理配置してしまった為の論理破綻。
大凡、2(陰陽)、4(四季)、5(五行)、8(八卦)、12(十二支)
を一色丹にしてしまう所に・・・・・。
大地を構成する5元素、五行の 「5」 がお邪魔虫。
でも世の中すべて
整理整頓できず、割り切れないところが 「いとをかし」。
いとをかしと云えば、清少納言さんの 「枕草子」。
彼女も 「清涼殿の丑寅の隅の段」 で丑寅を描写しています。
「北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどもの
おそろしげなる、手長足長をぞかきたる。上の御局の戸
おしあけたれば、つねに目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。」
清少納言さんがこの世で楽しくされていた時代、物忌み・方違えが
当然のように横行していた時節ですので、
「丑寅=鬼門」 の発想は
当たり前。陰陽師の 企画=演出=騙し はまんまと成功・・・・・。
ただ、衝立の絵画は 「虎のパンツ姿の鬼」 ではなく
みやび?にも 「荒海と漁師さん?」。
手足のバランスがちょいとおかしいだけ?
「丑寅=鬼門」 をどの様に感じていたか定かではありませんが
彼女がわざわざ文字にしたためているからには
少しは 「気にしていた振り」 を装っていたのかも知れません。
「振り」 と記しましたのは
もしも丑寅=鬼門説をマジにお考えになっていたら、
帝のお付き合いされている女性達、
すべての皆さんが 「鬼」 になってしまうのです。
なぜなら清涼殿から見て、
定子さんお住まいの宣燿殿、
東宮妃であり定子さんの妹のお住まいの淑景舎、
麗景殿、昭陽舎、貞観殿、常寧殿、
これらみな 「丑寅=鬼門」 の方角に存在しているのです。
別け隔て無く、紫式部さんがお書きになった 「源氏物語」 でも
光源氏のお母さん (桐壺の更衣) は 「桐壺(淑景舎)」
にお住まいになっています。
いやいや、鑑みるに、
やましい殿方にとって、女性は何時も 「鬼」 的存在なのかしらん?
元々、八卦の発想は艮=丑寅を特に悪い方角としていません事。
逆に、「立春」 発想の冬から春に転換する箇所と考えていました。
天文・暦を制した (研究された) 陰陽師さん達が、
禹の治水を助けた伯益が記した事になっている
「山海経 (せんがいきょう)」 の故事を巧みに利用した???。
山海経は
古代中国の神話と地理が記されていて
誰がお書きになったのかは不明ですが戦国時代~後漢の間に
できた書となっています。
この山海経には
桃の大樹がありその東北方に伸びた枝の所に門があり夜になると
その門から鬼共が出入りして悪さをしたと記されているそうです。
何か、中国版 「桃太郎伝説」 感じと思われませんか。
桃太郎さんは、申 (猿)・酉 (雉)・戌 (犬)を従え鬼門の鬼退治。
艮=丑寅の真逆は坤=未申。
日本には羊がいなかった為、
止むを得ず、猿の隣の雉と犬をセットにしたのかも・・・。
又、八卦は陰と陽の 「2」 を三乗した八通りとお思いになったら
大間違い。更に8を二乗して64通りの意味づけもされています。
何やらデジタル・コンピューターの世界に入ってしまいそう。
と云うよりも、
八卦の発想はこの地球生成、ビッグバン説の走りなのです。
混沌から宇宙が生まれ、「天 (陽)」 と「地 (陰)」 が形成され、
やがて生命体が微妙に変化し、ひょんな事から私達、「人」 が。
カオス状態から何かの拍子にビッグバンが起こり・・・・・。
おんなじ感じでしょう。
乾⇒天 以外は、坤⇒地 (球) 上に生じた・生じる自然現象。
艮⇒山 離⇒火・兌⇒沢 坎⇒水 <山紫水明>
巽⇒風 震⇒雷 <風神雷神>
すべてが全てに関わっている 「連鎖の輪 (和)」。
これがわたくし達 「人」 が感じた 「原風景」 に他ありません。
地 (球) 上の他の生物はどの様に感じてきたか不明ですが、
古代中国人は森羅万象、天地万物、原自然風景を
八卦 (8アイテム) として認識した事は間違いありません。
当たるも八卦はこれ位にして 「暦」 に戻ります。 続く。
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