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2009年2月15日 (日)

嫌われた丑寅・鬼門・艮(八卦)209

 360度を12分割ですので十二支は各々30度ずつ担当します。
 子を北とし時計回りに配当されたお陰で丑は30度、虎は60度に。
 90度の東は卯になり、45度の北東は 「丑寅」 となる羽目に。
 そして、なぜか、
 丑寅の方角を鬼が出る 「鬼門」 として忌み嫌ったのです。
 今年のお正月、円高にも関わらず、海外旅行が減少し、
 安・近・短?の神社・仏閣への初詣で大賑わい。
 「困った」 時には 「神様仏様」 にお願いするのが日本の儀式?
 「厄落とし」 をしなくていけない 「習わし・慣わし」 になっています。
 習わしは
 為政者が強制するか、法にするか
 ある企図を持ったお方に誘われ、幼気な民が圧倒的に支持、協賛
 する事により生じます。
 盛り上がる習慣は当然、前者よりも後者になります。
 先週、2月11日の 「建国記念の日」 が前者に、
 お正月の初詣・お雑煮は後者になります。
 イベント当初は何らかの理由が存在したと思われますが、
 大半の理由は後理屈が我が物顔で跋扈しているのが現実。
 今日日は殆ど存在しないと思われる?自分・自己・我を置いといて
 相手の立場を先行する 「和を以て貴し」 とする考え方。
 或いは、その発展的な発想?
 「隣の誰々さんと同じ」 「みんなで渡れば怖くない」 とする考え方。
 と云う事で、習わしは脈々と受け継がれて文化に・・・・・。
 丑寅・鬼門もその類の一つ。
 中原を制した中国古代人、
 漢農耕民族の方々はご自分達の周りを
 全て野蛮人と規定していました。
 北狄・・・北にいらした遊牧騎馬民族の方々。
 東夷・・・東にいらした異民族で多分日本人も含まれていた筈。
 南蛮・・・南にいらしたインドシナ系の諸民族。
 西戎・・・西にいらしたチベット・トルコ系の諸民族。
 その中で特に、北東方面にいらした武力に勝る、
 騎馬民族の方々を中国古代人は畏れおののきました。
 中国観光旅行の目玉と云われる 「万里の長城」 はその名残り。
 これが北東方面を丑寅・鬼門とした理由の一つになっています。
 又、丑寅を艮 (うしとら・ゴン) とも記します。
 この艮は 「当たるも八卦当たらぬも八卦」 の用語。
 八卦の五行方位配当では北東が艮とされていました。
 ちょいと八卦に触りますと、
 藤原道長さんが絶頂を迎えんとする時に
 お隣中国で生を受けた数字好きであった思われる
 北宋の邵康節さん (1011~1077) が易を基礎として
 宇宙論を組み立て (「皇極経世」⇒伏羲八卦先天図)、その後、
 朱子学でメジャーな南宋の朱熹さん (1130~1200) が集大成
 (「周易本義」) した事になっています。
 現在巷で流布している八卦は
 文王八卦後天図と云われる方位配当。
 (易の説明書 「説卦伝」 孔子作と云われています。) 
 この八卦表象意味は北から時計回りに

八卦  音   訓 方位 自然 五行
(カン)  
(ゴン) (うしとら) 北東
(シン)  
(ソン) (たつみ) 南東
(リ)  
(コン) (ひつじさる) 南西
(ダ)   西
(ケン) (いぬい) 北西

 八卦は当然8アイテムですので各々45°ずつ担当、
 艮は北東に配置され、自然は山に、五行は土と云う事に。
 八卦もベースが 「陰陽思想」 です。
 八卦の自然配当は、乾⇒天 ⇔ 坤⇒地。
 今日日は、「勝負服、或いは、勝負パ○ツ」 で事足りますが、
 わたくし共よりかなり上の世代の方は、この二文字を取り、
 一か八か・伸 (の) るか反 (そ) るかの勝負事を
 「乾坤一擲 (けんこんいってき)」 と表現しました。
 「一擲乾坤を賭 (と) して」 高額納税輸出企業の経営者は
 派遣社員の方々を切ってしまったのです???
 次週は文王八卦後天図表を図にしてみたいと思います。 続く。

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