時を刻み続けるカレンダー・暦 202
午前様をしない限り、朝、目を覚ますと必ず翌日になっています。
この午前の午 (うま) は旧暦 (天保歴以前) 時代に
1日を十二支に割り振られていた名残です。
24時間を12で受け持つのですから、
各々2時間=120分間=7200秒間を委ねられます。
十二支の順番は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。
ここで基準が必要になります。
今日と明日の分かれ目
現在のデジタルですと 「23:59」 ⇒ 「0:00」 ⇒ 「0:01」
旧暦時代は当然アナログですから 「子の刻」。
ここからがアバウトで大らかなアナログ感覚になります。
一番目の子の刻は午後11時~午前1時の間。
と云う事で真逆の
七番目の午の刻は午前11時~午後1時の間になります。
デジタルは一時が1秒間で、アナログはいっときが二時間。
せこせこ・カチカチ動きと悠々・自適な動きの違い。
時を刻み続ける現代カレンダーと
時が流れ続ける (旧) 暦時代との差異。
一日を子の刻、午の刻等、十二等分されていた暦は
明治6年1月1日からは正子、正午を境に「午前・午後」の二つ、
西洋二元論文化にされてしまいます。
明治新政府の脱亜入欧政策ですので致し方有りません。
改暦の詔書に、
「一、一箇年三百六十五日十二箇月ニ分チ、
四年毎ニ一日閏ヲ置候コト。」
「一、時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処、
今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ
子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ、午前幾時ト称シ
午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称シ候コト。」
と お達しされています。
(暦と日本人 内田正男著 雄山閣出版 p219)
暦用語では、
天保歴 (1842年~) は 「太陽太陰暦」
新暦 (1873年~) は 「太陽暦=グレゴリオ歴」。
そして、「時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処」 の
箇所は (「不定時制」) 大らかさの極みです。
江戸時代の庶民の大方の皆様は、
一日のスタートを日の出とし、
終わりを次の日の日の出前と考えていました。
昼は 「日の出」 から 「日の入り」 まで、夜はそれ以外の時。
この考え方では
春分・秋分の日以外は昼と夜の時間が異なる事に。
春分・秋分の日はお日様が真東から上り、真西に沈む日であり、
尚かつ、昼と夜の時間が一緒の日。(太陽の中心を基準として)
因みに、今年の冬至(12/21)の東京の日の出は午前6時47分、
日の入りは午後4時32分となっていました。
「国立天文台 天文情報センター 暦計算室」 で確認可能。
と云う事は、
昼間の時間が9時間と45分となり、夜間は14時間15分に。
冬至は 「夜の時間」 が一番長い日。
しかしながら、
この日の出・日の入りは事象事実のみで感性を伴っていません。
日の出入りはお日様の天辺が地・水平線と重なった時刻。
この時刻ですとまだまだしっかり明る過ぎます。
夕暮れ時の
暮れなずむ ⇒ 誰そ彼(黄昏) ⇒ 夜の帳が下りる感覚、
夜明け時の
あかつき(暁) ⇒ しののめ(東雲) ⇒ あけぼの(曙) 感覚が
忘れ去られています。
「お江戸日本橋七つ発 (だ) ち。」 ってご存じですよね?
この七 (なな) つは、昼間・夜間を12に分けたいっときの云い方。
云い直しますと、お江戸庶民の方々は一日の始まりを
太陽が昇る前・沈んだ後の仄かな明るさ、約30分前後を加味した
明け六 (むつ) とし終わりを翌日の明け六前迄としていたのです。
そして夜の帳が下りた時を暮れ六と。
このステキな感性を生かし、今でも国立天文台は
明け六 ⇒ 夜明(け) 暮れ六 ⇒ 日暮(れ) と云い換えてます。
因みに今年の冬至 (12/21) は
日の出 06:47 明け六 = 夜明 06:11
日の入 16:32 暮れ六 = 日暮 17:07 になります。
そうしますと、この冬至はお江戸感覚で
昼間が10時間と56分 夜間が13時間と4分に。
日本橋七つ発ちの七つは明け六のいっとき前になります。
冬至の翌日 (12/22) の明け六も06:11ですので
13時間と4分を6で割るといっときは約2時間と10分。
従いまして、七つは04:01~06:11前迄の時間に。
この夜明け前の時間帯に日本橋から旅立つったのです。
とうとうと流れる時間を刻み続けるデジタル時計のお知らせでは
後3日で新年を迎える事になっています。
と云う事で、今年も色々お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたしますって感じ。 続く。
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