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2008年11月23日 (日)

五行説は木・火・土・金・水 197

 五行説を考案した方は、これ又、昔の中国、伝説の王朝と云われ
 ている 「夏王朝」 の始祖、「禹(う)」 とされています。
 何せ彼は紀元前2000年以上前のお方ですので何ともいやはや。
 真偽は別として、
 司馬遷の 「史記 (太史公書)」 (紀元前91年頃の作)
 に記載されて入る訳ですから
 語り継がれ、どちら様かに措定されているに違いありません。
 
 禹の治世理念が五行説に集約されているとの事。
 「水潤下作鹹 火炎上作苦 木曲直作酸 金従革作辛 土稼穡作甘」
 上の漢文を、
 「は土地を潤おし、穀物を養い、集まって川となって流れ、
     海に入って鹹(しお)となる。
  は上に燃えあがり、焦げて苦くなる。
  は曲がったものも真直ぐなものもあり、その実は酸っぱい。
  は形を変えて刀や鍬となり、味は辛い。
  は種を実らせ、その実は甘い。」 と
 永田久さんは和意訳されています。
 (「暦と占いの科学」 永田久 新潮選書 p147)
 この五つの水・火・木・金 (こん)・土。
 「神 (ビッグバン)」 が 「わたくし達」 に
 超天文学的ごく僅かな確立にも関わらず、
 お恵み下さった偶然の産物。 「自然」。
 禹の感じた目の前にある自然現象を
 詞でそのまま表現しただけにも思われるのですが?
 只、味覚が有りますので、
 彼は 「海」 に行き海水を口に含んだ事があり、
 真っ黒に焦げたものを一体どんな味と食した事もあり、
 樹木にたわわに実る未だ熟してない果物を口にした事が、
 更に、悪戯気味に金属をなめた事も、
 今度は経験を積み、学習効果で、完熟の実を食べたのです。

 

 そして、1700年時代が下り中国の戦国時代 (B.C.403~B.C.221)
   (都の位置が北から順に)
 燕・斉 (田斉) ・趙・魏・秦・韓・楚の七カ国が覇を競った時代。
 鄒衍 (すうえん) (B.C.305~B.C.240) と云う方が
 「観念 (頭の論理)」 の世界で天空界と地上界を合体し、
 月と太陽から感じた 「陰陽思想」 と
 自然界を構成するとその時代で思われた
 水・火・木・金 (こん)・土の 「五行思想」 とをつなぎ合わせ、
 「陰陽五行説 (思想)」 を考え出したと云われています。
 この鄒衍説を前出の永田久さんは
 「天地のはじめ、混沌としたなかで、明るく軽い気が陽の気をつくり
  火となる。暗く思い気は陰の気をつくり、水となる。天上では火は
  太陽となり、水は月となり、これが組み合わされて、五つの惑星と
  なる。地上では火と水から五元素ができる。」
 と紹介されています。
 「炎 (火) が太陽に」 は 「真っ赤に燃えた太陽だから♪」
 で何とかイメージできますが、
 「水が月に」 からはちょいと無理がある様に思われませんか。
 しかし自然界の出来事を整理整頓して 「思想」 として提示された
 訳ですからそれはそれで十分考慮しないといけません。
 因みに、現在の日本の七曜日、「日・月・火・水・木・金・土」 は
 この陰陽五行説 (思想) の賜物です。                  続く。

 

追 「史記」 では、「毛叔鄭奉明水」 とあり
 周の武王が即位の際 (B.C.1050頃) に 「明水」 を天帝に捧げた
 と描写されています。
 この明水は、鏡で月から取った祭祀用の水と云われています。
 慮 (おもんばか) るに澄みきった夜空に浮かぶ 「満月」 が
 格調高き容器に映るっていたのではないかと。
 鑑 (かんが)みるにその霊験あらたかなお水が明水ではないかと。
 故に陰・月・水と陽・日・火と云う事に・・・・・。

 

菊
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