弁才(財)天は軽大郎女か 190
古事記で絶世の美女と紹介されている
軽大郎女 (かるのおおいらつめ) さん。
彼女の正式名は、衣通王 (そとおしのみこ)。
彼女の美肌は 「衣装」 を通す程、素敵だったではなく、
彼女はアバンギャルドで体の線に自信があり、
シースルールック (see-through look)
がとってもお似合いなられたお方と考えます。
衣通王は 「恋」 に関しても先鋭的。
なにせ彼女は実のお兄さんの
軽太子 = 軽王 = 軽皇子 (かるのみこ) を・・・。
詳しくは、「古事記」 梅原猛 学研M文庫で。
古事記の写本は、
京都大学附属図書館所蔵 清家文庫 『古事記』 で。
そして、弁才天。
彼女もインドの神様で河を守る神様だったとの事。
やがて女性ですから後の皆さんが幻想を膨らませ、
音 (楽) の神様 ⇒ 話 (術) のお上手な神様に変身。
故に後の正式なお名前は 「妙音弁才天」。
「水」 の神ですから彼女はシースルールックと云うよりも、
ひょとしたらスピード社の水着さえも最初から
身にまとっていなかったのかもしれません。
お馴染みの 「高野山霊宝館」
「弁才天について」 をご覧下さい。
「弁天像 胎蔵界曼荼羅」 図はその様な感じです。
一糸纏わなくても十二分に堪えられる
美肌ナイスバディー持ち主の妙音弁才天。
きっと、わたくし達、女性の究極の憧れかも???
奈良時代、鎮護国家 (金光明最勝王経) の役割とした弁才天は
鎌倉時代には北条政子をモデルとしてと思われる弁才天に変化。
「鶴岡八幡宮」 ⇒ 「八幡宮について」 ⇒ 「宝物」
「木造弁才天座像」 を確認下さい。
八幡宮側の説明では、
「鶴岡八幡宮の像は裸形に腰布1枚を彫出し、足をくずして横に
座り、実物の衣装をつけ、琵琶をひく姿である。寄木造り。
極めて写実的であり、女性的なふくよかさの中に
格調の高さと重厚 さが表現されている。」
と記されています。
故にこの像の作者は
弁才天を一糸纏わぬ像として表現したのです。
弁才天がお風邪をめしたら大変感じで、
後の八幡宮関係者のどちら様かがお着物を着せたのです。
像の作者にとっては、とっても 「がっかり」。
作者の意図を感じる事のできない 「無粋」 な方だったのでしょう。
又、「江島神社」 ⇒ 「御由緒」 ⇒ 「御宝物」
⇒ 「妙音弁財天御尊像」
では実物ではなく絵で表現していますが、本物は存在する筈です。
「仏像・羅漢」 梅原猛著作集2 集英社 p159
に写真が掲載されていますので興味のお有りの方は・・・。
弁才天は更に 「子宝」 「財福」 を担わされ 「弁財天」 に。
弁天様として七福神のお一人にエントリーされたのでした。 続く。
おみなえし
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