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2008年9月 7日 (日)

お地蔵さんは、なな何と菩薩 186

 ちっちゃな頃、田舎の道端にちょこんと立っていたお地蔵さん。
 彼が仏教世界では如来に次ぐ№2ランキングの菩薩とは
 とってもお恥ずかしい話ですが知らなかったのです。
 因みに広辞苑で菩薩は
 「(梵語 bodhisattva  覚有情と訳す)
 〔仏〕さとりを求めて修行する人。
 もと、成道以前の釈迦牟尼仏および前世のそれを指して言った。
 後に、大乗仏教で、自利・利他を求める修行者を指し、
 自利のみの小乗の声聞・縁覚に対するようになった。
 また、観世音・地蔵のように、仏に次ぐ崇拝対象ともされる。」
 お釈迦さんも営為努力 (修行) 中は菩薩さんだったのです。
 同じ地蔵菩薩でも田舎の道端のお地蔵さんでなく
 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関にある
 「中尊寺」
 ⇒ 「境内案内」 ⇒ 「金色堂」
   にある金ピカのお地蔵さんなら十二分に頷けます。
 金色堂のメイン (本尊) は阿弥陀如来像
 そのサイドをお地蔵さん6体で固めています。 (六地蔵菩薩)
 フロントは観世音菩薩と勢至 (せいし) 菩薩。
 観世音菩薩につきましては前々回お話ししました。
 勢至菩薩は男性・知恵の役割を与えられた菩薩さんとの事。
 平泉と云えば、その昔、砂金・金がたくさん取れた所。
 マルコ・ポーロ (1254~1324) が 「東方見聞録」 で日本を
 「黄金の国 ZIPANGU」 と西洋の皆さんに幻想を持たせた原点。
 大和政権に対峙しようとした方々がお住まいになっていた国。
 陸奥 (むつ)、奥州、道の奥 (みちのく)、奥の細道、
 阿弖流為 (?~802) (あてるい) 、
 安倍頼時・貞任 (?~1062) (さだとう) 、
 藤原経清の息子、清衡⇒基衡⇒秀衡 奥州藤原三代、
 源頼義・義家 (1039?~1106) 源頼朝、義経 (1159~1189)
 らの皆さんがこの地で生きた空間。
 それらの事は、平泉観光協会提供、平泉の歴史でご覧下さい。
 
 としても、やっぱり地蔵菩薩より 「お地蔵さん」 のイメージ。
 美空ひばりさんファンの方から聞いた話ですが、
 「これこれ 石の地蔵さん♪」 と云う歌があるとの事。
 お地蔵さんをまるでお友達感覚で呼べちゃうんですよ。
 又、幼稚園のお遊戯会で見かける、
 「笠地蔵 (かさ・かさこじぞう)」。
 雪がシンシン降る中お爺さんにプレゼントされた笠をかぶり
 米俵の逆贈り物。
 子供達が演じるかわゆいお地蔵さん。
 赤或いは白のよだれかけをワンポイントにした道端のお地蔵さん。
 これらがお地蔵さんと考えるのですが・・・。
 但し、このワンポイント地蔵さんも6体が限度。
 100体~1000体もいらしたらとっても空恐ろしいものが・・・。
 まだ、お地蔵さんならいざ知らず、
 わたくし達の時空間で散見される事・・・・・。       続く。

 

恋あざみ
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恋あざみ

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