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2008年8月17日 (日)

浄土へ誘う阿弥陀如来像 183

 如来の最後を飾る、ファショナブルでない阿弥陀如来像。
 しかしながら、阿弥陀如来像を媒体とした阿弥陀信仰、
 誰でも阿弥陀如来像を拝めば 「極楽往生」 可能という思想は
 ローリスク・ハイリターン?故に、圧倒的な支持を得ました。
 なにせ、この世で息する事をお止めになった方、皆さんが、
 黄金の国 ZIPANGU ではなく、
   「極楽西方浄土」 へ行かれ、そこで生まれ変わるのですもの。
 還暦を無事迎えられた世代の方々が
 一仕事の後、バスルームで奏でる
 「あーあ、ゴクラク、極楽」 感のパラダイス、この世の楽園。
 その空間は、日本より西にあり、嘘偽りのない浄きところ。
 と云う事になっています。
 日本より西方
 ノースコリアは未だ舟で連れて行った方をお返し下さいません。
 チャイナは 「北京五輪中」。 世界諍い一時中止にも関わらず、
 ウイグルでは未だきな臭く。
 グルジアではグルジア軍とロシア軍が一戦を構える始末。
 どうも、現実は 「悲惨西方穢土 (えど)」。
 しかし、浄土教が日本にもたらされたのは遠い昔、
 その後、最後の遣唐使の一員であった円仁 (794~864) さんが
 口称念仏の教えを比叡山延暦寺にお持ち帰りと云う時代。
 そんな時代ですから、
 日本にとって 「唐・天竺 (から・てんじく)」 が世界の果て。
 それ迄の平安仏教はお馴染みの
 「天台宗・真言宗」 を代表とする
 政敵凋落狙い・安産祈願の加持祈祷時代。
 (これのみではありません、悪しからず。)
 上流貴族 (公卿) のツール (tool) の一つ。
 やがて、円仁 以降、官営 比叡山延暦寺 の公務員 (僧)
 良源=慈恵大師 (912~985) さん
 ⇒ 源信=恵心院僧都 (942~1017) さんと繋ぎ、
 源信の著述した 「往生要集」 (985年) で
 お隣中国 (天台山国清寺=天台宗発祥地) からも絶賛され
 日本に於いて、浄土教が一世風靡する事になるのです。
 (この時代も海外評価が事を制します?)
 そんなこんなで、その時代の日本一の幸せ者=藤原道長さんにも
 当然情報が上がります。ファッショナブルな道長さんは
 即、取り入れます。
 かなり以前 「十二単 五色の糸 と をかし」 で紹介しました
 道長さんの手から流れる五色の糸を受け止めて下さる仏様。
 その仏様が阿弥陀如来像なのです。
 そして、
 道長さんが奥様のお母さん (藤原穆子)
 から頂戴した別荘 (別業) を
 道長さんの長男坊、藤原頼通 (992~1074) が大改装、
 この世に 「極楽西方浄土」 を造ってしますのです。(1052年)
 それが 「平等院、阿弥陀堂造営」。
 翌年1053年に 「阿弥陀如来像」 が完成。
 と云う事で、京都・宇治の地に、「平等院鳳凰堂」が出現。
 この極楽西方浄土は世界遺産迄にも。          
 
 時代(とき)が流れ、院政時代~鎌倉時代へ
 法然 (1133~1212) 「選択 (せんちゃく) 本願念仏集」
 ⇒ 親鸞 (1173~1262) 「歎異抄 (たんにしょう)」
 と連なり、彼らにより、
 ひたすら 「阿弥陀如来像」 に 「南無阿弥陀仏」 と
 リフレイン (refrain) するのみで幸せになれる
 とっても都合がよい 「浄土宗」 「浄土真宗」 は
 日本の民に圧倒的な支持を集めるのです。

 

 次回は 「菩薩」 さんへ。                                    続く。

 

晩夏の朝顔
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晩夏の朝顔

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