現世ご利益、薬師如来像 178
梅原猛さんの 「黄泉の王 私見高松塚」 (新潮社)に依りますと、
薬師寺は天智帝の息子さん、大津皇子 (663~686) の
「霊」 とされる 「竜」 のお住まい 「馬来田池」 を埋め立て
「薬師寺金堂」 を建立されたと伝えられているとの事です。
恨まれ側?の心の病気を癒すお役目。
と共に、天武帝にとって薬師寺は連れ合い (後の持統天皇)
への愛しい気持ちを具現化したもの。
愛の贈り物 (プレゼント) なのです。
贈り物の頂き側は贈り主の 「お気持ち」 を 「財の分量」
で計る事は古来より必定のコンコンチキ。
「財」 はけっして 「嘘」 をつきません。
「優しい言葉の一つや二つは屁の河童」 じゃーございませんか?
時は白鳳時代、日本のリーダーの天武帝ですから
「寺」 の一つや二つは何て事はございません。
鸕野讚良さんにとっては嬉しいプレゼント?
天武帝のお気持ちがすぐ伝わり、病気は逃げ出す始末。
やはり、薬師如来像のお力は素晴らしいものです。
それに引き替え、立場逆転のケースの場合は
鸕野讚良さんが薬師如来像に 「病気平癒お願い」 のみですので
天武帝の病気不回復はしょうがありません。
それとも、「お願い事」 は二つまでなのかも?
「三つのお願い」 はお聞き下さらなかったのです。
梅原猛さん情報ですが、
薬師如来像はインド・中国ではあまり人気が無く、
わが日本で圧倒的に持て囃された 「仏」 さんとの事です。
「人生とは」 と哲学るよりも
「今の生活をより楽しむ」 事を良しとした、いにしえの日本人。
現世謳歌に筋を通した古代日本人。
この世のご利益 (りやく) 追求。
ここのとこが、
数学・哲学好きなインド人、
地域・民族闘争に明け暮れた古代中国人と
大きく違う所です。
だまし討ちはあれども、
基本的に日本人は 「和」 を以て貴しとした方々。
薬師如来像と云う 「幻想ぶつ」 にお願い事って
なんて、「カワユイ」 の一言。
ホント、大らかだとお思いになりませんか。
薬師如来像の左手には、ピルボックスまがいのピルボトル。
木造ですが、神護寺のちょいと強面 (こわもて) 薬師如来像。
どんな病気も治してくれそうな薬瓶。
ひょっとしたら媚薬もお持ちかも・・・・・。
なんて想像したらとっても失礼かしらん?
この時代からおおよそ100年後、奈良時代後期に創建された
「比叡山・延暦寺・根本中堂」 (788年)
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その後の仏教界を背負って立つ教養エリート達が
学舎 (まなびや) とした延暦寺。
延暦寺で一番大きな東塔、根本中堂を飾るのも
なんと 「薬師如来像」 さんなのです。 続く。
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