海外BR仏教を受入る日本 170
現象的には、今や、お葬式 ・法事でしか出会えない 「仏教」?
インド ⇒ 中国経由、「外来思想」 の仏教。
公式?には、6世紀に日本に紹介されたという事になっています。
導入当初は
既得権益保持者側、物部 ・中臣氏らの抵抗を受けますが
「新らしものほしがりや」
「アドバンスドファッション?いち早く取り入れ派」
「外来もの (舶来) 崇拝者」
「既存体制ぶち壊し、新体制願望派」
「単なる移り気」
を標榜する蘇我氏らの軍事力が勝り、
日本古来の神々を信奉する物部氏は敗者となり、(587年)
ここに 「仏教思想」 が日本国為政者の拠り所となる事に。
蘇我馬子 (?~626) は 「飛鳥寺」 を造営 (596年日本書紀)、
正式名称は 「法興寺」 後には 「本元興寺」 に。
(奈良県高市郡明日香村飛鳥)
鞍作止利 (くらつくりのとり) 制作の 「釈迦如来像 (飛鳥大仏)」
が現在でも見られます。(高さ290㎝の座像 606年日本書紀)
鞍作り名人がなな何と、仏像をお作りに???
十中八九、蘇我馬子が 「外来神の仏教」 の擁護者になったのは、
「既存体制ぶち壊し、新体制願望派」 の思惑から・・・・・。
仏教を受入れる日本。
この時代、お隣、中国は 「隋」 (581~619)。
楊堅 (武将) (541~604) が
南北朝に分かれていた中国を統一 (589年) した頃合い。
仏教を受入れると記しましたが、
実際は政権が定まらず、政情不安定な中国本土から逃れ
はるばる海を渡り、
日本にこられた方々が信奉していた 「仏教思想」 と思われます。
鞍作止利のお爺さん、鞍作司馬達等 (くらつくりのしばたつと) は
「梁」 (南朝) (502~557) から来日されたと云われています。
そして、「飛鳥寺」 が建造される前のその地には
着物を作り上げるリーダーがお住まいになっていた感じ。
そのお方は、飛鳥衣縫造祖樹葉
(あすか・きぬぬいのみやつこ・おや・このは)。
樹葉さんと云うお洒落な名前。
さすがアーティスティック?じゃございませんか。
「衣」 と云えば、素材は 「絹・シルク」。
わたくしども、ZIPANGUが拘っている生地。
因縁深いものが漂っていませんか? 続く。
尚、「衣」 = 「絹・シルク」 につきましては
「奈良朝の服(令集解)三」
「絹ファッション(fashion)Ⅰ」
咲き誇る牡丹
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