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2008年4月20日 (日)

林羅山v.s.佐久間甚九郎2 166

 佐久間甚九郎正勝もキリシタンになる以前は
 「禅」 に親しむ武士でした。

 キリスト教の論理矛盾に疲れたのか?
 モーゼの十戒の流れを汲む
 「汝、殺す無かれ」
 「汝、盗む無かれ」
 「汝の父母を敬え」
 「汝、その隣人に対して偽りの証言する無かれ」
 「汝、姦淫する無かれ」                          等々

 果た又、
 イエズス会戦士の世界制覇野望に気付いたのか?
 1600年に
 ウィリアム・アダムス (三浦按針) (1564~1620) 英吉利人
 ヤン・ヨーステン (耶楊子)  (?~1623) 阿蘭陀人
 らが来日し、アンチカトリックとしてプロテスタント陣営の
 ポルトガル・スペインに次ぎ、やはり世界制覇を目指す、
 オランダ・イギリス出身の
 彼らから情報提供があったと十分考えられます。

 果た又、
 世の趨勢に身を任したのか?
 
 全く彼のお気持ちはどの様であったのか分かりませんが、
 後の彼は2代将軍、徳川秀忠の 「御伽衆」 に加わります。
 秀忠のお話し相手、政策立案の一員です。
 決して、夜の 「おとぎ話のお相手」 ではございません。
 
 1620年に刊行されたアンチキリスト教書物
 「破提宇子 (はでうす)」 《論破するぞ提宇子 (デウス神) を》
 多神教を旨とする日本文化を以てして、
 一神教を押しつける教えに彼は批判を加えました。
 彼も家康同様長生きをしています。
 この世に家康は72年間、佐久間甚九郎正勝は74年間、
 戦国~江戸時代の武将としてはとっても長寿。
 老後年金も無き時代、とってもお疲れ様でした。
 
 一方、大儒者と云われている林羅山。
 彼の事は皆さんよくご存じだと思いますのでさわりだけ。
 「林家ブランド」 をお作りになった祖のお方。
 お孫さんが 「大学頭 (だいがくのかみ)」 となり、
 江戸幕府の 「学問所 (学校)」 の総帥となりました。
 後に、天文方と一緒になり、「東京大学」 と成るのです。
 江戸幕府のバックボーン思想である朱子学 (儒学)。
 現代の日本人の心の片隅に居残る?
 と思われる基本的な発想が
 彼らにより造り上げられたと云っても過言でありません。 続く。

若い息吹
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若い息吹

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