林羅山v.s.佐久間甚九郎1 165
いよいよ、1606年に行われた、林v.s. 佐久間の論戦 (問答)。
天下分け目の 「宇宙論」。
林羅山は彼の属する党派の 「意見」 を
ファビアン (ハビアン)=甚九郎正勝も属するセクトの 「見解」 を
宣 (のたま) う事に終始し、
互いの 「もの云」 は平行線のありさま。
いつの世にもある 「議論」 のやり取り。
「よくある話」 じゃーございませんか。
林=天動説、ファビアン=地動説
を足して二で割る訳には行きません。(よくある手だて。)
物事の事実、真実、真相は大概の場合無視して構いません???
現代に生きるわたくし達には地動説を唱えた
ファビアン (ハビアン)=甚九郎正勝の云い分が
「正しい」 と認識できますが、
もしも、わたくし達が江戸時代初期の時空で生活していたなら、
両者の 「お話し」 を聞いてファビアン (ハビアン)が 「正解」
とは決して、決して言い切れないとお思いになりませんか?
こんな事って、今現在も当に進行中。(現在進行形 ~ing世界)
マクロ世界、国際宇宙ステーションでお仕事なさる土井隆雄さん。
ミクロ世界、万能遺伝子作りに精をお出しの山中伸弥教授。
そんな大それた事でなく、わたくし達の身の回りでも
未だ 「良く分からない事」 って、たっくさんあります。
この21世紀でさえ、
物事の真実・真相・本質は解らない事だらけ。
かえって、それを掴みに行く事を咎められたりしたりして???
林羅山にとっては、
大地が球形 (地球) であろうが、
地球が太陽の回りを楕円軌道で巡っていようが、
「そんなの関係ない。」? ってな感じ、
徳川家康庇護の下、立身出世が頭を過 (よ) ぎるのみ。
そんなこんなで、二人の問答は物別れの顛末。
しかしながら、 「大人の見識?論理展開の宿命 160」 で
林羅山が勝利と記しました。
ファビアン (ハビアン)=佐久間甚九郎正勝は
この問答の後、時間を待たず、
なぜか、キリシタン (切支丹) ではなくなるのです。
要は、キリスト教徒をやめてしまったのです。
きつーいお言葉では 「転向」。
軽めでは 「方針転換」。
戦略・戦術レベルでは、
近代経営者、トップリーダーの方針転換、朝令暮改は世の常。
「環境変化」 に対応できない経営者は企業間競争では敗者に。
ファビアン (ハビアン)=佐久間甚九郎正勝を責めてはならじ。
青臭い林羅山は徳川家康のブレーン (brain)。
信長・秀吉亡き後、真正面から家康に叛旗を翻すリーダーは
日本全国、津々浦々見渡しても存在しなかったのでしょう?
日本に取り新進ファッション思想のキリスト教、
何をして、彼を棄教せしめたのか? 続く。
若い息吹
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