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2008年4月 6日 (日)

地動説 佐久間甚九郎正勝 164

 地動説
 ところが、どっこい、16世紀に入り、
 ヨーロッパにおいて天動説が支障を来す事になるのです。
 セコイ?方では、
 七つの海に漕ぎ出し、世界制覇を目論む軍団に取りまして、
 G.P.S.無しでの大海原航海。
 羅針盤頼りの航行です。
 夜は 「星」 のみが行き着き先へのパイロットさん。
 その頼りとしたい水作案内人がなぜか・なぜか動いていたのです。
 これには 「おっ魂げー (オッタマゲー)」 のコンコンチキ。
 「イージス艦、あたご」 の艦長さんの比ではありません。
 なにせ、発射されたミサイルを探査・追撃できる
 最新鋭のレーダーなんて代物を
 世界制覇目論み軍団は、当時、お持ちでないのですもの。
 「押せば引け、引けば押せ」 の刹那の動きが可能な
 女と男の気持ちやり取り。
 その様な感じの 「目標物喪失」 ってな艶っぽい事とは
 訳が違います。
 漆黒の闇の大海原、目標とする物が移動なんてしたなら
 それこそ、お家 (船) の一大事。
 私は 「何処」、貴方は 「誰」 に成ってしまいます。
 
 そして、本来はこっち。
 どうも 「春が来た日。」 が
 肌感覚の季節とそぐわなかったのです。
 もう過ぎ去りましたが、お彼岸の中日=春分の日。
 お百姓さん達の 「種蒔き目安日」。
 食糧自給率が40%を切る現在の日本と違い、
 この時点の皆さんは、(徴税関係者と宗教権威者を除く)
 基本的には自給自足の生活が当たり前。
 食糧自給率、100%の世界です。
 どの日に種を蒔くかで収穫できる分量がおおよそ規定されます。
 故に 「暦(こよみ)」 が非常に重んじらたのです。
 1年の長さをどの 「値 (あたい)」 で区切るかが最重要な事に。

 これらの問題に答えを出した方のお一人が、
 ニコラウス・コペルニクス (1473~1543)
 ポーランド (波蘭) 生まれの素敵な方。
 地球が中心でなく太陽を中心として星々が回転していると
 地動説を唱えたお方。
 プロイセン=プロシャ (普魯西) 王国(後のドイツ=独)出身の
 大哲学者、イマヌエル・カント (1724~1803) が
 「認識論」 で彼の名前を頂戴し、
 「コペルニクス的転回」 と迄云わせたお方です。
 コペルニクスはカトリック教会の聖職者であり、占星術師等でも。
 頃は、西洋において、ルネッサンスを経て大航海時代。
 ローマ‐カトリック教会の 「お力」 にはほとほと頭が下がります。
 コペルニクスのお陰で、世界制覇目論み軍団の艦長さんは
 惑い動き惑星などの星々の動きに納得できたのです。
 
 そして、二人目が後にローマ皇帝の称号を与えられた、
 ジュリアス-シーザー=ユリアス-カエサル (B.C.100?~B.C.44)
 が作製させたユリアス暦の不備を
 約1600年経過後に修正したローマ教皇、
 グレゴリウス13世 (1502~1585) (在位1572~1585)。
 彼が作らせたグレゴリウス暦 (1582年・・・信長他界年)
 今現在、世界の多くの国々で使用されている暦です。
 ユリアス暦をグレゴリウス暦に変更した時点で、
 なな何と、「10日」 も違っていたそうです。
 この暦のお陰でお百姓さん達はバンバンザイ。
 暦はとっても大切なもの。
 今では、忘れ去りつつある私達の肌感覚を
 支えてくれ続けているのかも知れません。              続く。

 (尚、古代中国の名誉の為に、メジャーになっていませんが、
   天も大地も回っていると想像していたお方もいらした感じ。)

弥生三月
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若い息吹

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