天動説の林羅山 (儒者) 163
1606年 林羅山v.s.佐久間甚九郎正勝の論戦 (問答)
佐久間甚九郎正勝 | (1556~1631) | 51歳 | キリスト教徒 |
林羅山 | (1583~1657) | 24歳 | 儒者 |
かなり歳の差があります。
大学出の青臭く、旬な正義漢が
酸いも甘いも味わった感がある老練な文化人に挑む様?
要はこれからの若者と老い先が垣間見えるお年寄りの対話。
林羅山 | v.s. | 佐久間甚九郎正勝 |
古代中国宇宙観 (太極説) | v.s. | 天地創造説 |
天動説 | v.s. | 地動説 |
古代中国宇宙観
太極説の陰陽思想の二元論
やや、科学的には蓋天説(がいてんせつ)
アバウトでは宇宙 (天) と地は並列で上が天。
それを発展させて、渾天説 (こんてんせつ)
これもアバウトでは宇宙 (天) は球体で地はその中にあり、
あくまでも地は平面。
天地創造説
これは 「6日目に人が造られ、7日目が日曜日」 のものがたり。
天動説
宇宙 (天) のみが動いている説。
現実感覚として、
基本的にわたくし達はこの考え方に違和はないと思われます。
古代ギリシャ科学 (幾何学など) を集大成したギリシャ人、
クラウディオス・プトレマイオス (90?~168?) の天動説。
太陽・月・星々がわたくし達の住む大地を中心として
「回って、回って、回ってるー」 と云う考え方。
今でこそ、この考え方は 「変」 となりますが、
20世紀、宇宙船から地球を観た映像を通して
初めて 「実感?」 できた方々の云う台詞ではありませんか。
日々生活を営むわたくし達にとって、
足をつけている大地が左から右へ回っているなんて
これっぽっちも 「実感」 できません。
回りの景色が見渡せない、車や電車が同速度で走っている際、
内側同士の観察者には、
車や電車が止まっている様な、あの・その・感覚です。
要は、わたくし達は 「錯覚」 の時空で生活しているのです。
この考え方は、「コペルニクス的転回」 が行われる
16世紀まで生活上全く問題はなかったと思われます。 続く。
弥生三月
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