大人の見識?論理の宿命 160
(●´∀`)=(´∀`○) と 《仁・義・礼・智・信》
2500年前に孔子と彼のお弟子さん達が考え出した
ハウツー 「ギスギス無しの世渡り術?」。
これが、「大人の見識」 と云うものなのでしょう。
「ありふれた話」 になりますが、
とかく、儒学思想は既得権者に取って、
とても都合が良いと思われがちですし、
時の為政者 (東南アジア共同体) も皆さんその様に考えました。
大凡、その時代に合ったと思われる 「思想」 は
《時代にマッチ (match ) したと思われる。》
後の時代 (世相) と後の時代に生を受けた方々の
「解釈」 により変幻自在に生まれ変わります。
故に、様々な党派・学派・セクトが芽吹く事になります。
解釈者の目の向け処により色んな考え方が可能に。
時の為政者か被為政者か
時の甘受者か被甘受者か
時の供給者か消費者か
時の女性か男性か
時の若者か老人か
等々により思想は、変幻自在・千変万化します。
時代にマッチとは、当然その時代の為政者にとって
都合が良い 「思想」 と云う事に成ります。
君臣の義・父子の親・長幼の序の3点セットで
十二分に徳川幕藩体制が維持可能となります。
論理展開担当は前回紹介しました林羅山=朱子学ブランド。
この 「論理」 と云うものがとっても曲者 (くせもの)。
「論理」 は「考え方 (見解) のことわり (理)」。
事実・真実・真相がどうあれ、
一番些末な所では、論理展開担当者の
「声が大きい。」
二番目は論理展開担当者の
「バックが強者(為政者)。」
最終的には論理展開担当者の立場が
「軍事力と経済的背景保持者。」 側に有る事。
この状況が論理展開に於いて 「勝利」 する事に成ります。
続く。
弥生三月
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