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2007年10月28日 (日)

お江戸元禄、庶民も元気 140

 ドンパチ (覇権取りの戦と覇権取り後画策) が整理整頓されて
 80年~50年の経過、
 久方ぶりの平穏 ・静謐の時が流れていたと思われる
 元禄の前後を含む時代。
 どんな感じの時間が流れていたのか全く不明ですが、
 その時代から約270年後、
 お上から 「資産無しの方々が麦を食べる様に云われ」
 1960年位からスタートとした高度経済社会への道のり、
 この間の時代は 『昭和元禄』 時代と命名されています。
 果たして、江戸元禄時代は如何様だったのでしょうか。
 江戸幕府から麦ではなく粟、稗の食事奨励をされなくても
 この時代の庶民の方々は、個々人のレベルでそれなりに
 対処していたのではないかと考えますが・・・・・。
 「味覚」 は個々人の 「感性」 に帰されますが、
 おおよそ、「麦・粟・稗」 に比して 「お米」 がそれらよりも
 美味しく感じるのが日本人の感性と思われます。
 そして、当然 「玄米」 よりも 「白米」。
 昨今の 「健康ブーム」 により
 粟、稗・玄米を食す方がファッショナブル?と云われていますが、
 「体に良い?」 = 「美味しいもの」 とはなりません。
 昭和元禄のこの時 「小さな?幸せ」 を願い 「額に汗し」
 懸命に経済成長率アップに貢献した
 第一次ベビーブーマーの戦闘士軍団の皆さん、
 右肩上がりの折れ線グラフ情報に弄ばれた方々
 (昭和22年生まれ) が今年無事に還暦を迎えておられます。
 この第一次ベビーブーマーの方々と前回紹介しました
 菱川師宣との共通点である
 「より美味しいご飯を食したい願望」 を持てた事が
 お江戸元禄時代 (江戸地域) と昭和元禄時代が一致する点です。
 ドンパチの憂いが無く、都会で 「ウン (運?) と努力」 すれば
 ひよっとしたら 「美味しいご飯」 が食べられると云う 「幻想」。
 この幻想こそがわたくし達を
 「元気印」 にする魔物と相成ってしまうのです。
 魔物にまんまと気持ち良く誘惑され、
 一路、お江戸 (東京) への構造。
 この構造が 「元禄時代」 と云われる時代。
 お江戸 (東京) は世界に冠たる大都会に。
 これら幻想保持者軍団への 「憩い提供者」
 が江戸元禄時代では
 歌舞伎役者 ・お相撲取り ・陰間 ・花街女性などの方々になり
 サービス業に従事される道を
 選択された、或いは、選択せざる得なかった役者さん達です。
 しかしながら彼ら彼女らも幻想保持者である事に
 何ら変わりはありません。
 「消費経済社会」 を担う一分子であり
 「一旗上げ軍団」 と全くの同胞になります。
 お江戸元禄時代は螺旋状的、高度経済社会へと直走ります。
 「美味しいご飯」 にありつける訳ですから皆さん
 楽しくって、嬉しくって仕方がありません。
 「衣食足り」 た方々は
 次のステップとして 「礼節 (クォリティライフ)」 へ。
 と 本来は進む筈なのですが・・・・・。
 ここの所は又別の機会に。
 そんなこんなの元気お江戸元禄時代の真っ直中、
 一旗上げ軍団の皆さんらに絶賛された方が
 ゲイ (芸) で 「女性の気持ち」 を極めた
 芳沢あやめさんなのです。
 
 ひょっとしたら、今の世の
 石 ・鉄の構造物、
 電磁波 ・光が乱れ飛ぶ 「景色」 こそ違うものの、
 「心 (気持ち) の構造」 は
 富士の山を借景とした木 ・土の建物で暮らした
 お江戸の皆さんとちっとも変わらないのかも知れません?
                  続く。

菊薫る秋
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菊薫る秋

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