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2007年10月21日 (日)

あやめの生きた元禄時代 139

 今現在は、平成の坂東玉三郎さんがご活躍ですが、
 たおやかな女心を芝居 (歌舞伎) で表現し続けた
 芳澤あやめさん (1673~1729) に
 「ものごころ」 が付き始め、果敢に生き抜いた時代は、
 天和 (1681~1684) 徳川5代将軍、綱吉時代
 貞享 (1684~1688) 綱吉時代
 元禄 (1688~1704) 綱吉時代
 宝永 (1704~1711) 綱吉・6代将軍、家宣 (いえのぶ) 時代
 正徳 (1711~1716) 家宣・7代将軍、家継時代
 享保 (1716~1745) 8代将軍、吉宗時代の約半分

 辛酉 (しんゆう) ・甲子、革命 ・革令でコロコロ年号が変化、
 年号と云えば、甲子の年 (1684) には、
 天文方、渋川春海 (1639~1715) らによる
 精度の高い画期的な太陰暦
 「貞享 (じょうきょう) 歴」 の採用。
 
 庶民を巻き込み、心を動かした上方文化の情報発信者、
 井原西鶴 (1642~1693)
 竹本義太夫 (1651~1714)
 近松門左衛門 (1653~1724)
 宮崎友禅斎 (1654?~1738?)   1685年に友禅染を考案
 尚、女性心を捉えた友禅染は
 「宮崎友禅斎の手描き友禅染」 をご覧下さい。
 
 文学の世界では
 「徒然草」 「枕草子」 等を読み込んだ
 北村季吟 (1624~1705) 「徒然草文段抄」 「枕草子春曙抄」
 そして、彼の門下生、松尾芭蕉 (1644~1694)
 更に、「万葉集」 「古今集」 を読み直した
 下川 「契沖」 (1640~1701)       1688年に 「万葉代匠記」
 水戸の御老公 (徳川光圀) (1628~1700) のお願いとか。

 美術分野では
 尾形光琳 (1658~1716)  
 彼の事は、「尾形宗謙⇒尾形光琳・乾山」 で。

 思想界では
 伊藤仁斎 (1627~1705)  京都、堀川で儒学の教授

 建設土木界では河村瑞賢 (1618~1699) が
 淀川治水工事に着手 (1684年)。
 経済界では1688年に大坂の堂島に 「穀物売買所」 ができ、
 最近飛ぶ鳥を落とさない落ち目の
 「ヘッジファンド」 のツール (tool) である
 「先物取引」 が
 既にこの時にはお米の価格安定取引の為導入されていました。
 又、
 住友財閥の基礎作りをした住友友芳 (1670~1720) が
 江戸幕府より 「別子銅山」 の開発 ・採掘利権をゲット。(1691年)
 別子は現在の愛媛県宇摩郡別子山村エリア (area)。

 これら皆さん達はなぜか上方 (関西) の方々。
 この現象は何にも不思議ではありません。
 神代? ⇒ 飛鳥 ⇒ 奈良 ⇒ 平安京都 ⇒
 京都・鎌倉二重構造 ⇒ 室町 ⇒ 戦国時代まで
 続いた長きに渡る京阪を中心とした日本伝統文化のなせる業。
 こんな感じの、
 どの分野でも泰平の世?を甘受し、謳歌、発展させようと
 していた方々の中にあって、
 偉才、芳澤あやめさんは 「女形」 の分野 (道)
 女心の機微を探求し続け極めようと努力をし、やがて極める事に。

 片手落ちはいけませんので、
 関東地区はどうだったかと云いますと
 徳川綱吉の側用人、
 牧野成貞 (1634~1712) 柳沢吉保 (1658~1714)
 徳川家宣の側用人
 間部詮房 (1667~1720)
 江戸幕府の思想擁護者、
 林鳳岡 (ほうこう) (1644~1732) 湯島聖堂の初代学長 (頭)
 異彩はインフレ政策 (金銀貨幣の改鋳) を取った勘定吟味役
 荻原重秀 (1639~1715) の奇策。 (1695年)
 彼と尾形光琳との接点は
 「尾形光琳と中村内蔵助の仲」 をご覧下さい。
 等々、江戸幕府政治関連の方々がズラリ。
 どうもこの時期、関東地区の方の文化貢献度が
 上方 (関西) 地区の方々に比して低い感じ・・・・・?

 と思いきや、さにあらず、
 後の江戸日本文化を代表する 「浮世絵」 の創始者が
 このお江戸に存在しました。(安房国(千葉県)出身で江戸在住)
 そのお方は上方地区の方々を見返した
 「見返り美人」 を世に残して下さった菱川師宣。
 彼に関しては、 「刺繍職人(縫箔師)から 絵師 菱川師宣へ」 で。
                  続く。

菊薫る秋
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菊薫る秋

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