天草四郎と島原、夕霧太夫 130
京の遊び処、「島原」 との命名は
若干、ティーンエイジャーで果敢に江戸幕府に 「叛旗」 を翻す
リーダー役を賜った美少年?、天草四郎時貞らが活躍した
「島原の乱」 (1637/10~1638/2) が由縁。
為政者側からしたら反乱軍とされた彼ら彼女らが
肥前、長崎、島原半島・肥後、熊本、天草地方で幕府に対峙。
その 「島原」 から拝借したのが 「京、島原」。
九州地区でのドンパチが収束した頃(1641年)、
文化都市、京都では 「お遊び処」 が六条三筋町から、
その時代は市街地に当たる現在の下京区花屋町通に移動。
この江戸幕府の命が非常に唐突、即移転のお達し、
天草四郎時貞らの島原から天草移動に似寄りだった事から
京にも 「島原」 が誕生する事に。
今の地名も 「花」。
女性の美しさは、この日本ではいにしえより
花に喩えるのがとってもお似合い。
「お遊び処」 は通称 「花街 (はなまち)」。
やはり、「花」 に変わりはありません。
即物的?なカタカナ表現、 「ラブスポット」 と
奥深い 『花街』 とは趣き、響きが全く異なります。
決して 「カガイ」 とはお読みにならないで下さい。
そのお方には、「課外教授」 を??? 続く。
秋は女郎花
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