和事は醸成された超本能?123
江戸時代、三都物語の最後は、
長い歴史と文化の流れを汲む京の都、和事 (やわらかごと)。
このタイプは基本的にはハリウッド映画に無いパターン。
やおら、有ったとしても多大な興行収入は望めません。
広辞苑では 「わごと」 で
「歌舞伎劇で、男女の恋愛 ・情事の演出様式。また、その場面。」
と説明されていますが、そんな浅くは有りません。
単なるラブストリー (love story) ものなら
人の存在、数だけ、ごまんと存在致します。
和事 (やわらかごと・わごと) は、
功利主義、物理的利得計算の世界では存在し得ない事象です。
「富 ・ 権力 ・権威」 すべて揃っているお方が
( + 容姿端麗 ここがとっても大事。)
敢えて、それらを投げ打ち、捨て去り、払いのけ、
その方にとって、
この世で一番素敵な女性に恋い焦がれ、一緒に成る事ですから。
ご本人にとっては、悔しかったらやってご覧の世界ですが、
「富 ・ 権力 ・権威」 をお持ちでない方々には
到底でき得ない事。
憧れの対象になり、
「なんてお馬鹿で、粋で素敵で美しいお方なのでしょう。」
と云う構造になります。
世の女性は、三つの内、一つの犠牲でさえ大感激にも関わらず、
三つ共ですから、刹那的?には
大 ・大 ・大感激で随喜の涙がちょちょぎれます。
こんな希にしかこの世に存在しない絵空事を
フィクション (fiction) とは云え舞台で演じて下さる訳です。
嘘でも 「私も同じ境遇に」。
一時なりとも日常世界 (褻世界) から脱出し、
幻想・お祭り世界 (晴れ世界) へのお導き。
この状況 ・情況を醸し出して下さる 「遊び処」。
「遊び処」 って何て素晴らしく、素敵な所。
受けない筈がごじゃりません。
「廓文章」 「夕霧名残の正月」 「由縁の月」
(1678年 2月3日 大坂 荒木与次兵衛座 初演) での
「夕霧」 に惚れる 「藤屋伊左衛門」 役は
その後、坂田藤十郎、得意中の当たり役だったとの事。 続く。
初秋の桔梗
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