残る歌舞伎芝居小屋の逆襲118
度重なる江戸幕府の歌舞伎界への仕打ち。
しかしながら、芝居見物は庶民 (お金持ち) の最大の娯楽。
残された歌舞伎役者さん達は奮起します。
渋谷シアターコクーンで若者達を引きつけ、
平成中村座の浅草寺奥山公演、果てや
海を渡ってのニューヨーク公演などエネルギッシュに活躍中の
第18代中村勘三郎さん。
彼のご先祖は京の都で能の狂言師をやっておられた方で
その当時は 「猿若勘三郎」 と云われていたとの事です。
猿楽 (平安時代の芸能) ⇒ 能・狂言 (鎌倉、室町時代) ⇒
の流れを発展創造した、阿国歌舞伎の時代の剽軽役、「猿若」。
どうも現在同様、ひょうきんな方々は、
上方 (かみがた) の京 ・大坂出が伝統感じ。
否、話は逆で、昔から 「お笑い系」 は京阪神出身ってな事に。
吉本興業、芸能民軍団のT.V.ジャック (jack) は凄いの一言。
それはさて置き、猿若勘三郎さんはその当時は新興都市、
お江戸に登場、「猿若座」 (1624年) (江戸幕府公認) を
立ち上げ、歌舞伎興行主 (座元) 兼、役者さんをこなす
プレーイングマネージャになります。
女性歌舞伎は途中、お取りつぶしに成りますが、
若衆歌舞伎は未だ健在、視聴率?は鰻登り。
「猿若座」 (後の 「中村座」) からやや遅れ1634年、
同じく大坂、堺出身、
村山又三郎が江戸に進出し、「村山座」 の立ち上げ。
後の 「市村座」 になります。 続く。
尚、初代中村勘三郎さんの大きな絵は、京都国立博物館所蔵
「阿国歌舞伎図」 でご覧下さい。
「収蔵品データーベース」 ⇒ 「作品・文化財の名称」欄に
阿国歌舞伎図 をコピペして下さい。
晩夏のあざみ
| 固定リンク
コメント