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2007年8月19日 (日)

徳川家斉と松平定信 112

 1792年の時点で
 松平定信は35歳、徳川家斉は20歳、(皆さん数え)
 そして、この時代を動かした一橋 (徳川) 治済は42歳。

 徳川家斉は15歳で徳川幕府第11代将軍に成っています。
 本来なら彼は家康が言い残した将軍長子相続ならほど遠い存在。
 しかしながら、彼の父、一橋 (徳川) 治済の大いなる汗かきで
 愛でたく、征夷大将軍の位置を占める事に。
 長子系列では、(徳川吉宗後の将軍と御三卿)
 徳川吉宗 (8) ⇒  家重 (9) ⇒ 家治 (10) と順当に継承と
 思いきや、家治の息子、家基の不可解な他界。
 吉宗の次男坊、田安家のご子息は何故か地方へ出張の憂き目。
 残る三男坊、一橋家の2代目当主が一橋 (徳川) 治済。
 彼の長男が徳川家斉。
 徳川治済 (はるさだ) の徒ならぬ策略をお感じになりませんか。
 二十歳になった家斉は、そんな偉大な?父に 「ご褒美」 を。
 「大御所様」 の尊号をプレゼントしようとします。
 それまでは将軍位を息子、秀忠に与え、駿河国駿府で差配した
 徳川家康の呼称の 「大御所様」。
 その様な大それた暴挙に、松平定信は
 光格天皇の実父への「太上天皇 (上皇)」 の尊号付与を
 江戸幕府の威厳を以てして断念して頂いた経緯もあり、
 一橋 (徳川) 治済の大御所様への就任に対して 「NO」 の回答。
 
 この措置に業を煮やす治済 ・家斉、父子は
 松平定信を老中の座から引きずり落とす事に発展。
 主語を徳川家斉として語りましたが、
 思うに、これらすべて一橋 (徳川) 治済の陰謀。
 実質が伴っているにも関わらず、「人の欲と業」 のなせる業。
 富と権力を得たお方は
 最終的には 「名誉」 を求める感じです。

 110回の光格天皇と112回の徳川家斉
 このお二人の父親に対する思いに纏わる出来事が
 通称 「尊号事件」 と云われています。 続く。

晩夏の薊
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晩夏のあざみ

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