« 光格天皇と松平定信 110 | トップページ | 徳川家斉と松平定信 112 »

2007年8月17日 (金)

松平定信 ・徳川治済の世 111

 定信と治済の青春から壮年期にかけては、為政者にとり
 天候不順で凶作が続いた不運の時。 (天明の大飢饉)
 京の都では1788年には大火事。(天明の大火)
 禁裏御所も焼失し、帝もお寺 (聖護院) へ一時避難の始末。
 (松平定信が御所造営総奉行になり、京に趣く。)
 この時点で災難に遭遇した方々にはとっても失礼ですが、
 京都西陣の絹機織り産地は壊滅状態になり、
 日本全国に絹織物産業が立ち上がる結果を招きます。
 特に北関東の両毛地区。
 上野国=上毛野 (栃木県) と下野国=下毛野 (群馬県)、
 現在でも足利、桐生地区の絹織物産地はこの時代より
 培った織り技術で味がある特殊 「織物」 を供給しています。
 日本のみならず、世界の服飾デザイナーさん達には大助かり。
 又、ネクタイ産地で有名な東京、八王子地区も同様です。
 
 この時代、産業革命で沸き返るイギリス・ロンドンを凌ぐ、
 世界に冠たる大都会、江戸。
 田沼意次の行け行けどんどん政策により、
 花のお江戸で暮らす方々は、少々の天変地異等なんのその、
 松平定信のお出まし迄は庶民も含め、
 皆さん血気盛んな 「元気印」 のコンコンチキ有様模様。
 十二分に都会生活を享受し、楽しい日々の連続。
 一橋 (徳川) 治済のどろどろ政治暗躍など何処吹く風。
 「明和の三美人」 に続く 「寛政の三美人」 を迎える時節。
 お芝居、相撲観戦、お茶さんでのデート等々で大忙し。
 当然、「甘味処」 「お食事処」 「お遊び処」 も大盛況。
 それらを囃すメディアの闊歩。
 今現在ほど情報洪水状態では無いものの
 十分な 「人の心」 を踊らせるに必要不可欠な
 「絵 (動画)」 と 「文章 (キャッチコピー)」 表現は
 浮世絵師達、又、彼らをデレクトする企画出版者が担いました。
 更に雑誌レベルでは 「軽い読み物」 作者達の
 庶民に共感を呼び、やや辛口含みの的をえた辛辣洒落表現。
 感性 ・感覚の研ぎ澄まされた情緒文化都市、
 お江戸の町 (街) はそれは、それは粋で鯔背な世の中。
 ちょいと不安要素は、異国の方が天下泰平な日本訪問くらい。
 この話の続きは別の機会に。  続く。

晩夏の薊
spacer
晩夏のあざみ

|

« 光格天皇と松平定信 110 | トップページ | 徳川家斉と松平定信 112 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 光格天皇と松平定信 110 | トップページ | 徳川家斉と松平定信 112 »